初春、麗藍にて。

「どこ行きやがった、あの馬鹿」
 いまいましげに吐き捨てる口元が、しかし、どこか楽しげに緩んでいる。
 当の本人にもその自覚はあるのだろうか、しばし気配を探るようにあたりを見回したあと、星樹はかすかに苦笑した。

 麗藍の都は、今、花の盛り。
 西へ向かう街道で一、二を争うほど華やかなこのオアシス都市が、最も美しく輝く季節だ。
 芽吹く鮮やかな緑、色とりどりの花々。
 行き交う隊商の列や、役人たち、それにもちろん一般庶民の姿も活気にあふれ、街路には笑顔と明るい声が満ちている。
 星樹は、その麗藍の大通りをゆっくり歩いていた。
 大陸中から人の集まる麗藍は、世界中の数多くの民族を見ることのできる場所でもある。人種の坩堝ともいわれる帝都には及ばぬものの、体躯、顔立ち、髪の色……さまざまな身体的特徴の人々が、ごく普通に交じり合って存在しているからだ。
 けれど、そんな往来の中にあって、星樹ほど際立つ容姿の持ち主はない。
 明らかに「平民」とは異なる、均整の取れた長躯。
 天上の女神もかくやと思わせる白皙の美貌と、その顔を縁どって流れる琥珀色の髪。
 瞳の色は深みのある青で、角度によっては緑にも紫にも見える。

「見た? あの人、魔物でないなら、半神に違いないわよ」

 彼のそばを通っていった女が、一緒にいる女に話し掛ける。普通の人間であれば――それを「平民」と呼び習わしているのだが――決して聞こえることのないひそひそ声が耳に届き、星樹は内心で苦笑する。
「有翼種を騙る魔物なら多いという話だが、半神を騙る魔物というのは、聞いたことがないな。悪さがが知れて、山主に睨まれると怖いからか?」
 半分は神だとまでいわれる、類稀な種族に属する男だ。その内に秘めた能力は半端なものではない。特に、山主と呼ばれる一族の頭領の力は、地上で最強と言われている。
 そして、彼らの美しさもまた、「半神」とまで呼ばれる理由だった。
 しかし、自分と同等に美しい人々の中で育ってしまえば、それが普通になるわけで、自分が美しいという自覚は本人には案外ない。もちろん、若い娘たちから好意と好奇心の入り混じった、艶めいた視線を送られるのは日常茶飯事であるし――現に今も、妙な視線をあちらこちらで感じる――その原因が自分の容姿にあることもちゃんとわかっているが、それを嬉しく思うこともなければ、ありがたく利用することもない。
 元々色事に興味が薄いのも理由のひとつではあるが、それよりも大きなこと。それは、今、この美しい半神の青年の脳内を占めているのが、彼を置き去りに逃げ出した連れ合い、ただ一人であるということだ。
「まったく……ガキじゃあるまいに、すぐ迷子になる」
 迷子になったわけではないのはよくわかっていたが、星樹はそんなふうに言い捨てた。
 自分の半径1キロくらいなら気配で探せるのだが、どうやらそんな近距離にはいないらしい。人気も、動物の気配も乏しい荒野でならともかく、人口2万とも3万ともいわれるこの大都市でただひとりを探すのは、半神といえど、さすがに難しかった。
 相棒がバザールの喧騒に紛れて逃げ出してから、とうに半時間は経っている。
「人ごみが嫌いだと? わたしだって好きじゃないんだ。いつもいつも、厄介事だけひとに押し付けて、さっさと逃げやがって。おまえにはわたしに対する思いやりってものがないのか? わたしはおまえの保護者じゃないんだぞ。だいたい、蛇使いと呪者が苦手って……よくそんなので、魔物をやっていられる」
 星樹は、言いたいだけの悪態を吐き出してから、突き抜けるように青い空を見上げた。
 どうせ探さなくても、そのうち向こうからしおらしいそぶりで現れるのは、最初から知っている。


 サリは、麗藍の街を眼下に望む、小高い丘の上にいた。
 剥き出しの赤い岩山の裏側には、地形を利用して築かれた見事な僧院があるらしいけれど、そんなものに興味はない。ただ、人気のないところに来たかっただけだ。
 春とはいえ、陽射を遮るもののない丘の上は焼けつくほど暑く、訪れるものなど皆無だ。
 星樹だって、まさかこんなところまで探しには来ないだろう。彼は結構適当なところがあるから、サリが仕事をボイコットしたくらいで、怒り狂って説教しにきたりはしないのだ。 ほとぼりを冷ましてから顔を見せれば、わりと寛容に受け入れてくれるはずだ。
 乾いた風が頬を撫でていって、セリは心地よさげに目をほそめた。
 星樹はよく魔物、魔物というけれど、サリは純粋な魔物ではない。
 サリの父親は魔物だが、母親はそうではなかった。
 ちなみに魔物というのは正確にいうなら魔族で、「生まれつき変化の能力を持った人種」のことだ。その魔力の強さと好戦性ゆえ、「平民」の間では恐れられているし、 だから麗藍のような大きな街を含めて、人里ではあまり見かけることはないけれど、魔族だから邪悪だとかいうことは決してないし、魔族とて「人の子」だ。
 だから混血などということも起こり得る。
 魔族と「平民」の子は、世界中どこにでもありあふれていた。実は半神の血を引く人間というのも、これまた少なくない。
 けれど、サリのようなタイプはきっと、世界にひとりきりだろう。
 ばさばさの黒髪に、金の瞳を持つ少年は、外見だけなら十七、八歳といったふぜいで、瞳の明るさにさえ目をつぶれば、どこにでもいる普通の少年に見える。
 けれど、彼が今背中でぶらぶらさせている黒猫の尻尾にしか見えない代物だとか、ルーズに羽織った上着の下でぱたぱたさせているものだとか、 サリの身体には「平民」には持ち得ないパーツがついていて、結局、サリを何者でもなくしていた。

「あづい〜」
 うんざりした表情でため息をつく。
 自業自得なのはわかっている。できれば眼下に広がる緑の川辺に行きたいのだけれど、歩いていくのは面倒だし飛んでいくには人目が気になる。 さらに、あそこまで降りれば、星樹の人間レーダーのような探査能力に引っかかる可能性だって高い。
「まったくさあ、星樹の力って、無駄にすごいんだから」
 もっとこう、ばこばこと敵を倒したり、瞬間で街から街へ移動したりとかないのかねえと、贅沢なことをつぶやきながら、サリは立ち上がった。
 尻尾は、意識して「しまって」おく。よほど能力のない魔族でないかぎり、自分の姿は「平民」そのものの人間型と、特徴的な魔族型との間で調整できるものなのだ。
 ただし、尻尾を出すためのズボンの穴が、ものすごく間抜けに開いたままだったりはするのだが(星樹は、スカートでも穿いとけとうるさい)
「いいよな、もう夕方だし、ちょうど誰もいないみたいだし」
 飛んでいるところを見つかるのは、あまりうまくない。けれどまあ、あそこまでならほんの数秒だろうし、と楽天的に考える。
 星樹に見つけられたらそれはそれ。
 説教とお仕置き(?)はまあ、ここ数日相手をしてもらえなかった分と相殺してちゃらにならないか、交渉してみればいいに違いない。……きっと、聞き耳もってくれないような気がするけれど。
 だいたい、ここまで探しに来ない星樹が悪い……と理不尽なことを思って、悪ガキのような、それでいて天使のような幼い顔に微かな笑みをふわりと浮かべ、サリは丘の岩肌を軽く蹴った。
 ばさり。
 黒く大きな翼が羽ばたく。
 その力強い羽ばたきで、たちまちサリの身体は中空へと舞い上がり、それから一気に降下する。
 そして、世にも珍しい混血の有翼種の姿は、オアシスを流れる川のほとり、木々の合間へと消えていった。

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