遮るものの何もない、真っ平らな草原の夜。しんと静まり返った中に、ときおり草を揺らす風の音と、狼の遠吠えが響く。
空には満天の星。
月は西に傾き、あたりを柔らかく照らしていた。


「んぁ、ふっ……やだって……」

艶めいた少年の声に、青年の低い笑い声が重なった。
さわさわと、柔らかな羽の擦れ合う音がする。
「もぉっ、星樹。ふざけるんならやめろってば」
「これのどこがふざけてるって?」
「ふざけてる! もうやだ、離せってば。もうやんなくていい!」
「そんな、心にもないことを言うなよ。気持ち良いんだろう?」
相変わらず、痴話喧嘩以外のなにものでもない口論が、夜の冷えた空気の中へ溶けていく。
かん木の茂みの陰で寄り添う二人の姿は、 地上の誰からも……天上の月からも窺い知ることはできなかった。

少年の漆黒の翼を執拗に撫で回しながら、星樹はくすくす笑っている。
何度やっても、この手触りとサリの反応がたまらない。
「やっ、そこ、やだ!」
どこを触っているのか、と思わせる、まさに嬌声そのものの声。ぴくりと跳ねるしなやかな肢体。
しかも、さんざん文句を言い、悪態をつきながらも、上半身だけ裸になっているサリは、すっぽりと星樹の腕におさまったまま逃げようともしない。
それどころか、星樹の背に腕を回して、「もっとやって」と言っているも同然の格好だ。

有翼種の翼というのは、いわゆる性感帯らしい。
雑学にも真面目な学問にも、結構詳しいつもりでいる星樹だが、そんなことはサリと付き合ってはじめて知った。
彼らは、もっとも親しい相手以外にこの大事な部分を触らせることはない。
つまり、翼に触れるということは、親を除けばおのれの伴侶にのみ許す、とても親密な意味のある行為なのだ。
だからこそ、伴侶に翼を撫でてもらう行為が、性的な意味を帯びてくる。


「綺麗だな。おまえの翼は、やはり夜が似合う」
耳元へささやいて、骨のある部分から下へすっと撫で下ろすと、サリがかぷっと肩口に噛み付いてきた。
「おい、こら」
「むぐぅ」
ふざけて見せているが、これだけ密着しているのだ。下半身のほうの変化は丸わかりで、星樹はおかしくて仕方がない。
「笑うなっ」
「おまえが可愛すぎるからだろう」
「可愛くなくていい! もぅ、さっさとすませろってば!」
「ワガママな奴だな。わたしにも楽しませろよ」
「やーだー」


一応、星樹がいやらしい手つきで翼を撫でまわしていることには意味があった。
羽づくろい、というやつだ。
有翼種の小さな翼は、たしかにどこからどう見ても翼で、 美しい羽が幾重にも重なって生えてできている。
それは本物の鳥が、自分の羽にくちばしを突っ込んでせっせと整えているのと同じように、たまには面倒を見てやらないといけないものだった。
有翼種が飛ぶときに現れる大きいほうの翼は、風の化身とも精霊ともいわれる彼らの能力が見せる幻影にすぎない。彼らは本当は、小さな翼に秘められた魔力で飛んでいるのだ。
汚くて、手入れの行き届いていない翼に、魔力が宿るだろうか。答えは否だ。
美しい翼を持つからこそ、彼らは風を呼び寄せ、自らを空へと運ぶことができる。
だから、有翼種にとって、羽の手入れというのはとても大事なことだったし、手入れをしてくれる伴侶もとても大事なものだった。
ただし、つがい(?)同士で互いに羽づくろいし合うというのが、本来の姿ではある。
何しろ、自力で手入れすることを放棄しているかのような翼だ。彼らは大概身体が柔らかいから、頑張れば少々の手入れくらいは可能なようだが、それでは完璧とはいかない。一説には、彼らは最初から、一対で存在することを前提に生まれてきているのだとも言う。
有翼種は、一生同じ伴侶と連れ添い、添い遂げる生き物だった。
サリの父親に言わせれば、それはただ単に最初に結ばれた伴侶だけを愛するように生まれついているだけであって、愛情が深いとか、貞節を大事にするだとか、そういう意味ではないらしいが。
それにまあ、サリは半分しか有翼種ではないのだから、純粋な血をもつ者たち同じように星樹を一生の伴侶と感じ、大事に思っているかどうかと問われれば、疑問も残る。
残るけれど、この世にも珍しい少年が、まだ成熟しきらないその初々しい心と身体の全部をかけて自分を愛していることくらいは、星樹にもよくわかっていた。
そして、できれば自分も、このひねくれた性格を少々曲げてでも、サリを大事にしてやりたいと思っている。
いつも、本当は、そう思っているのだ。

「元気そうだな」
「やっ」
「元気そうな」場所をひょいとつかまれて、サリが抗議の声をあげる。
「おい、こら」
思い切り背中に爪を立ててくるので、当然の仕返しとして‥‥‥無論、加減は十分にしたが‥‥‥握ってやった。
「ひっ……」
固まった背中をぽんぽんと叩いてやると、すっかり潤んだ黄金の瞳が星樹を見上げてくる。恨みがましいその視線に、星樹はどうにも笑いをこらえきれない。
「ふっ、おまえ、その顔……」
「だ、誰のせいだよ……」

もう、知らない、星樹なんか嫌いだ。
と、心にもないことを連呼して、格好だけ暴れてみせるので――もっとも、本人は結構本気のつもりだ――星樹はひょいとサリの身体を裏返して、漆黒の翼に顔を埋めた。
絶対、間違いない、という場所を唇と舌とを使って攻めれば、じゃじゃ馬が陥落するのに十も数える必要はない。
「んはっ、ず、ずるいぃ……星樹の、ばかぁ……」
そんな声は、相手を不用意に煽るだけだとは思いもしないのだろう。星樹は思わず苦笑した。
「おまえね……知らないぞ」
なにが、と問いたげな瞳に笑いかけて、乱暴に口づける。
「んっ、ふっ……せ……」
翼ごと、少々荒っぽく背中を撫でてやる。眉根を寄せて苦しげにする表情が、常日頃からは想像もつかないほど色っぽいと星樹は思った。
サリを抱きかかえたそのまま、ごろんと敷布の上に転がる。
あとは、ただ情動に流されるだけだ。

いつしか月は西の空に沈んでいた。
星々のきらめく夜空の下、恋人たちの甘い声は、やがて寝息となって消えていく。
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