とある町にて

 二人で旅するようになって、まだ日も浅い頃。
 サリと星樹は、砂漠からかなり東まで旅して、帝国領となっているとある町に滞在していた。
 季節は冬。
 身体を芯まで冷やす寒さと、吹き飛ばされそうな風が猛威を振るい、人を屋内に閉じ込める時期である。


 サリは、暖を取るために焚かれたストーブの間近に座って、じっと丸くなっていた。
 火がぱちぱちとはぜているのを眺めるのは楽しい。外の吹雪を眺めるよりは。
「遅い」
 心配を押し隠して、怒ったふうに言う。
 二刻もまえに、雇い主に呼ばれて出かけていってから、星樹はまだ戻ってきていない。
 狭い家は、その雇い主が用意したものだった。最初にきたときにはすきま風がぶんぶん吹き荒れていたが、近所の人にも手伝ってもらって、今は申し分ない程度にまで修繕されている。
 それでも少なくともサリにとっては、ストーブのまん前で丸まっていないと足りない程度に寒いのだが。
 サリは、着膨れて元の体型がわからないくらいに、分厚い服を重ね着していた。そこまで厚着すると、実は背中の羽が圧迫されて、とても居心地が悪い。
 本物の「有翼種」というのは、冬でも温暖なあたりに住んでいて、とても薄着なのだそうだ。背中の翼は、厚着には向いていない。
 そんなこんなで、サリはとても不機嫌だった。
「だいたいあのオバサン、星樹に下心あるの見え見えじゃないか。誰がこの吹雪の真っ最中に吉凶を占うんだよ」
 半神と呼ばれている種族は、暦を読み、運気の流れを読むことを得意とする人々でもある。帝国には、占い師のような仕事をしている星樹の仲間が少なくないらしく、このさほど大きくない町にももう一人半神族が住んでいるほどだった。
 彼らの運気を知る能力は決してはったりではないから、占いの的中率も高いはずだが、彼らを雇う人間のすべてが占い目当てとは限らないのだと星樹自身が言っていた。
 今の星樹の雇い主のように、その美しい容姿を目の保養に……あるいはそれ以上の用途に欲しくて雇う者も多いのだ。
「外は大荒れだし、今日は泊まってお行きよ、とか言ってるんだ、絶対、あの女」
 ここの町長の妻がたった今、口にしたことをただしく言い当て、サリは唇をかんだ。
「オバサン」とは失礼な言い草で、東から町長が連れてきたという後添えの女は若い。まず三十歳はこえていない彼女は、生きている年月で言えば実はサリとさほど違わないかもしれない。結構な美人で、都会の商売女だったという噂の真偽はともかくとして、妖しげなほどに「女」の色香を撒き散らしている女でもあった。
「やだ……」
 星樹の腕が、自分以外の人間を抱くのは嫌だ。星樹の唇が、自分以外の人間に触れるのは嫌だ。
 あの不思議な色をした瞳が、自分以外を見つめるのは嫌だ。
 サリの心はひとりの男のためだけにあるのに、その男がどこを見ているのか、サリには自信がない。ワガママだの怠け者だの単純だの、性格をけなす言葉ばかり言われているし、ガキだし。それに、半分オスで半分メスであり、普通の人間にはありえない妙なパーツをいろいろつけている自分の身体が、性的に魅力的だとはとても思えなかった。
「やだやだ……」
 だいたい、星樹がいけないのだ。冬場にはどこかの町に逗留するつもりだとは聞いていたけれど、何も下心が壁から透けて見えるような女に雇われなくてもいいではないか。いや、実際に星樹を雇っているのはその旦那のほうなのだが、まあどっちでも同じようなものだ。あの男の星樹を見る目も、いいかげん怪しかった。
 サリの人を見る目は、動物的な勘が働く分、結構確かなのだ。
「やだやだやだやだやだぁ」
 もはやただの駄々っ子と化して、サリはカーペットの上に転がってじたばたし始めた。
 こんな寒い時期に、こんな寒い場所に滞在したことはなくて、ただでさえ寒さには弱いのに、心まで寒くなってきて、じっとしていられない。
 けれど、吹雪いている外にまで様子を見に行くだけの気力と言うか、勇気がない。
 それで星樹が楽しそうにしていたときには、我慢の糸が切れると思うし。
「早く帰って来いよ……」
 サリは横向きに転がったまま、ひざを抱えて丸くなった。
 静かな寝息がこぼれだすまで、さほど時間はかからなかった。


 星樹は、内心で結構不機嫌になりながらも、極力穏やかでいるように努めていた。
 穏やかにしていれば神秘的な雰囲気をかもし出す彼の美貌は、少し不機嫌を顔に出しただけで、ものすごく冷淡な氷のオーラを発してしまうらしいのだ。顔に似合わず気が短いだけに、心をなだめるのには苦心する。
 町長の妻は、自分に半神の青年をたぶらかすだけの色気があると信じて疑わないようで、星樹が迷惑顔もできないのをいいことに、あからさまな誘いを繰り返しているのだった。この数日間、毎日のように繰り返される戯言に耐えている自分は、なかなか忍耐強いじゃないかと、星樹は本気で思っている。
「大姐、わたしは、私の神の名のもとに、心に決めた相手以外と交わりを持たないことを誓っているんですよ。毎日毎日、時間と労力の無駄だと思いますけどね」
「冷めた人ねえ。遠くの許婚より近くの愛人のほうが、魅力的だとは思わないの?」
 さっきまで占いに使っていた盤の上を見下ろし、星樹は小さくため息をついた。
 星樹は、別にサリの立場を秘密にしているわけではない。サリがただの少年ではないことをわざわざ喧伝するのも嫌なので、旅の連れだとだけ紹介しているが、面と向かって問われれば恋人だと答えるだろう。
 だがたいていの人には、この美しい青年の隣にいる、さほど綺麗な容姿とも思えない少年を、彼の恋人と見立てることはできないらしい。
 女の頭の中には、『心に決めた相手=故郷にいる人』という図式が勝手に出来上がっているようだった。
「あいつならここから2分の家でまるまって拗ねてるよ」
 と本当のことを言ってやる気にもなれないので――彼女なら、サリより自分のほうが魅力的だと言い張るだろう――星樹は小さくため息をついて、占いに使った小石のようなものを片付け始めた。小石を皮袋に戻し、暦を見る盤を畳めば、星樹の商売道具の片付けは終わってしまう。
「あなたが情熱的な方だということは、よくわかりますよ。けれど、わたしにとってはただそれだけのことです。わたしは、流転のさだめに生まれついていてね、通り過ぎるものには心惹かれないのですよ。けれどどんなに遠くにいても、わたしの恋人だけは誰より魅力的ですよ。そう思ってなければ、神の前で誓ったりしません」
「あら、言ってくれるわね。それで、あなたはここに長くとどまる気はないって言いたいわけ?」
「ええ。そしてあなたは、この町に骨を埋めるでしょう。あなたの運気はここにありますよ。じきに、幸運も手に入るでしょう」
「あら、さっきまでそんなことを言っていたかしら?」
「あなたの望みは叶わないと、そう言っただけですよ」
「そうかしら?」
「望みが叶うことが即ち幸運だとは限らないでしょう? 運気など、人が見ていない場所から転がり込んでくるものだとわたしは思いますよ」
 そして、それを掴めるか否かは、本人しだいなのだと思う。
 星樹が迷い迷って手に入れたもの――サリという名の、やっかいな連れ合いとの生活――は、まだ幸運と言えるほど形をなしてはいないけれど、掴み取ったそれを離す気はまったくない。
 星樹は、雨戸に硬く閉ざされた窓の外を窺うように、ふと目をそらした。
「ああ、もう遅いですし、そろそろお暇しますよ。家で、うちのわがまま坊主が拗ねて膨れている頃ですからね」
「ほんとに色気がないわねえ。まあ、そういうところも素敵だと思うけれど。また主人の相談に乗ってやって頂戴。でもあの男、欲深だから、気をつけてよ」
「そうさせてもらいます」
 苦笑で返して、星樹は立ち上がった。
 無性に、サリに会いたいと思ったのだ。


 星樹は雪も寒さも嫌いではない。むしろ雪景色を見ると嬉しくなるような性質で、さほど厚着をしなくても寒さには耐えられた。
 毛織のコートに、毛皮の帽子を目深にかぶった姿で、星樹は町長の館を出た。館の門を出て、吹き荒れる風の中を早足に歩けば、サリの待つ家はすぐそこだ。
 がたん、と乱暴に扉を開けて中に入ると、部屋の中ほどの巨大芋虫が目に入る。もう寝入った頃かと半ば諦めていたので、その姿は予想通りでもあり、嬉しくもあった。
 サリは今の物音で目がさめた様子で、首だけもたげて星樹の姿を確かめた。
「おかえり」
「ただいま。どこで寝てるんだ、おまえは」
「ここがいちばんあったかいんだもん」
「それでも、毛布くらい掛けろ。また風邪ひくつもりか」
「ふぇーい」
 サリがこんなに寒さに弱いとは知らなくて、ことさら寒さの厳しいあたりを旅してしまったことを、星樹は後悔している。寒さだけならまだ耐えられるようだが、雪の降るのがよくなかったらしく、二十日ほど前にサリは熱を出していた。そこで星樹はやむを得ず、いちばん近くにあったこの町に逗留することを決めたのだ。
 冬を越せるだけの満足な貯えもなく、非常手段として占い師の仕事をはじめたが、待遇はともかく、雇い主はあまり理想的とは言いがたい。無駄な会話の応酬は、それなりに慣れているからいいのだが、帰宅するたびに向けられるどこか不安げなサリの眼差しが、最大の難点だった。
「星樹」
 サリが寝転んだまま手を伸ばして、星樹の名を呼ぶ。
 意図をすぐに察して、脇に手を回して抱き起こしてやると、サリはぺたりと星樹の身体にくっついた。
「冷たい」
「あたりまえだろう。外は吹雪いているんだぞ」
 サリを引っぺがして、雪をかぶったコートを脱ぎ、よく乾くようにそばにあった椅子の背に掛けてくると、星樹はあらためてサリを捕まえた。
「なんか匂う」
 しかめっ面で星樹の毛織の上着をくんくんやっているサリのほっぺたをつねってやる。
「だからなんだ、疑り深い奴だな。あの女の化粧の香りがきついのは、おまえもよく知っているだろう」
 言いたいことはわかったので、そう答えると、サリは少し視線を泳がせた。別に本気で疑っているわけではないのだろう。ただ、不安なのだ。
「星樹は、俺なんかのどこがいいんだ? 俺、あの女よりいいと思う?」
 サリは真剣だ。
 それは理解できるのだが、星樹はちょっとうんざりして顔をしかめた。
「おまえね。わたしはこれでも、結構純情で生真面目なんだよ」
「うそ臭い」
「断言するなよ、おい。わかるか。この手間のかかるお姫様を、あんな十人並みの女と同列にしか見ていないんだったら、とっくに逃げ出してるって、俺は。おまえだから、こうやって……」
 途中で抱えあげて、星樹は寝台のほうへ移動した。部屋の奥、衝立だけ立てた向こう側には、壁に作りつけられた寝台が二つ並んでいるのだが、今のところ手前の一つしか利用されてはいない。
 その寝台の、毛布の上にサリを下ろして、唇にキスを落とす。
「一緒にいたいと思うわけだ。少しは信用しろよ」
 いまひとつ、わかりかねている様子のつぶらな金色の瞳に、星樹は内心苦笑しながらも、もう一度口づけをする。
「俺って、手間のかかるお姫様?」
「手間隙かけて尽くしてるだろう?」
「……馬鹿」
 サリが、拗ねてみせてそっぽを向く。
 それから、ごそごそと毛布を引き寄せて星樹を無視して寝るふりをするので、星樹は微笑しながら立ち上がった。
 たちまち、物言いたげな瞳が追ってくる。
「戸締りして、火の様子を見てくるから。もう寝るだろう?」


 外は、相変わらずごうごうという風の音に包まれている。
 けれど、二人でいる家の中は、すきま風や外から染み入ってくる冷気に悩まされてはいても、外と比べ物にならないほど暖かい。
 サリは、安心したように目を閉じた。
 やがて戻ってきた星樹がランプの明かりを消して、毛布の中へ入ってくる。
 サリを、抱き枕でも引き寄せるような気軽さで腕の中へ押し込めると、やわらかな唇の感触が、サリの額に触れた。
「おやすみ、サリ」
「おやすみなさい」
 口元をほころばせて答えると、サリは星樹の胸に顔を埋めた。
 隙間なく抱き合って眠る夜に、凍える寒さが忍び込むことはない。

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