甘い週末

 その日、特に起きなくてはいけない用など何もなかったが、7時過ぎに目を覚ましてしまった遥は、ベッドからシーツを引っ剥がすと、それに半分包まったような格好のまま寝室を出た。
 伊織は出張で留守にしているが、自分の部屋のベッドよりいつものベッドの方が落ち着くから、そっちで寝ていたのだ。
 二人暮しには過剰な大きさと思われるドラム式の洗濯乾燥機に、引きずってきたシーツと着ていたパジャマを突っ込んで、それからしばらく考えてほかの洗濯物も放り込んだ。洗濯機のふたを閉めてスイッチを押すと、下着一枚のままで寝室に引き返す。
 新しいシーツを出して手際よくベッドメイクを済ませると、そのままベッドにもぐりこむ。
 そして、たいそう幸せそうに枕を抱えて、再び眠りに落ちた。
 何のためにベッドメイクをしなおしたのか……それは誰にもわからない。


 何かすーすーすると思ったら、掛け布団をはがされていた。
「おまえ、それで誘ってるつもりか」
 頭上から降ってくる声に、目を薄く開ける。声の主を確認して、あれ、帰りは今日だったか?と頭の隅っこが考え込んでいる間に、伊織の存在を当たり前だと思っているもう片方の隅が、勝手に答えている。
「……さそってない」
 明らかに、寝ぼけた声だったが。
「じゃあ、何してるんだ?」
「寝てんの」
「おまえ、裸で寝る習慣あったか?」
「さあ……」
 このあたりでようやく何かがおかしいことに気づいた遥は、半身を起こした。目の前にいる存在に気づいて、あ、おかえりと小さく呟き、伊織の微笑を誘う。
「あれ……パジャマどこだろ?」
「まあ、いいけどな」
「え……あっ」
 冷えた素肌に、夏の空気と日差しに温められたスーツが押し付けられ、そのざらりとした感触に遥は身を震わせた。
 素直に目を閉じると、額と、鼻先とにからかうようなキスを仕掛けてきた唇が、最後に遥の唇を捕らえる。
 覚醒しきらない遥をあやすように、すべてが優しく、暖かいキスだった。
 夢心地の中、肌の上をすべる手の熱さに吐息を漏らすうち、唇は離れていった。
「いい子にしてたか?」
「ん」
 半分は無意識に続きをねだる仕草に、伊織が微笑する。
「疲れてないの?」
「うん?」
「やけに機嫌いい」
「お前が可愛いからだろ」
「なにそれ」
 ネクタイを外そうと、上等なシルクの質感のそれをくいくい引っ張っていると、
「こら」
 と笑いながら手をとられる。指先にキスされて、遥は照れたように目を細めた。
「ほんと、おかしいって。何かいいことでもあった?」
「いいや、何も。ただ、猫のご機嫌をとるには、まず好物だろうと思ってね」
「はああ?」
 そういえば、喧嘩していたのだったか、とおぼろげに思い出す。またしても誕生日をすっぽかされたのが(付き合って4年目にして3回目だ)原因だったが、3日も経ったら忘れていた。
 喧嘩というより、遥がちょっと嫌味を言ったらイジメられて(当然、ベッドの上でだ)、ふらふらになっている間に出張に逃げられたという「いつものパターン」で。
「今すぐ抱くっていうのも非常に魅力的なんだが。予約を入れてあるから。遅くなったけど、誕生日のディナー、な?」
 なんで食事に行く前に抱いてくれないんだろうと、寝ぼけつつも半分その気になりかけていた遥は首をひねったが、時間を見ようと時計に目をやりかけて、納得した。
 時計を見るまでもなく、日が傾いている。
 5時過ぎだった。
 もっとも、その気ならたとえ10分しか猶予がなくても、やることはやるのだろうが……今は、一時の欲望より「お誕生日の食事」を優先したほうが、長期的な戦略として有利だという、冷静な判断をくだしたに違いない。
 何しろ相手は、遥の思考回路を熟知している。
 遥は、ずるいなーと思いながらも、違うことで顔をしかめた。
「なあー、腹減った」
 時刻を知ってしまったら、空腹にも気づいてしまった。
「だから、メシ食いに行くんだろ。昼食ったのか?」
「……今日起きた覚えがない」
「何時に寝たんだよ」
「え、ちゃんと3時すぎには寝たと思うけど……」
「おまえなぁ。まじめに仕事をしてたこっちが悲しくなるぞ」
「悪かったな。暇な大学生で」
 4年生になった今年、遥はほんのいくつかの講義とゼミしか出ていない。資格をとるための講習やら、無理やり放り込まれた英会話スクールやらで、それなりに忙しくはしているのだが、伊織がいないとついだらけた生活になりがちなのはいつものことだ。
 ただしこの場合、根本的な原因は、数日前に朝まで寝かせてくれなかった誰かさんにあるような気もしたのだが。
「どこ連れてってくれるの」
「いいところ。ネクタイとジャケット着用でどうぞ」
「おおおおおお」
 肩のこらないビストロだとか、たとえ普通のファミレスだろうとも、一緒に食事に行くのは好きだが、高級なレストランにエスコートされるというのもまた、格別だ。
 ぱふぱふと枕を叩いて喜びを表現したら鬱陶しがられたので、遥は伊織に抱きついて、かぷっと食いつくようなキスをした。

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