世界の果てにて不毛な夢を見る者ども



“にらむ”


 それは、めずらしくメイヴィンが惰眠をむさぼっていた朝のこと。
 聞きなれない足音が表の階段を上ってくるのに気づいて、ウルが手にした書物から顔を上げた。窓際のカウチはウルのお気に入りで、メイヴィンやほかの誰かが仕事を持ち込まない限り、ウルは日がな一日ここで本を読んでいる。
 顔見知り以外が、この細い路地の奥にある家にまでやってくる可能性はほとんどないのだが、顔見知りであっても家に来て欲しいと思ったことなど一度もないウルだ。
 知らず眉根を寄せ、近所の差し入れだったら居留守を使おうと決心したところで、扉を勢い良く叩く音が聞こえてきた。
「ごめんください。ウルさんかメイヴィンさん、いらっしゃいませんか!?」
 聞き覚えのある声は、記憶が確かなら近所の住人などではなかったので、ウルは重い腰を上げた。玄関をあければすぐ居間という作りなので、扉までは十歩と歩かない。
 迷惑顔を思いっきり出しながら扉をあけると、表に立っていたのは予想したとおりの人物だった。
「朝からすみません。ランス・ダージェンの秘書をしておりますジュートです」
「知ってます」
 愛想のかけらもない返答に、小走りで来たらしく汗をだらだら流している男の顔が引きつった。
「はあ。あの、実はウルさんかメイヴィンさん、どちらかにぜひお頼みしたいことが……」
「なんだぁ、朝っぱらから」
 ジュートが気を取り直して話し出したとたん、今度は奥からメイヴィンが出てきて、話の腰を折った。
 上半身は何も着ておらず、下は部屋着らしい膝丈のズボン、赤茶色の髪が獅子のたてがみのように飛び跳ねている姿は寝起きそのものだったが、顔を見るとちゃんと覚醒しているようで、それどころか目が光っている。
「出てこなくていいものを」
「ふん、お前が追い払うと思ったから出てきたに決まってるだろう」
 メイヴィンは自慢げにそう言って、ジュートに話の続きを促した。
「実は、今朝早くから地族のお客様のご訪問がありまして」
「お客様」
 メイヴィンは繰り返しながら、ちらりとウルを見た。メイヴィンが出てきたので、やる気を完全に失ったらしいウルは、元いた窓際のお気に入りのカウチに戻ってしまっている。
 地族と呼ばれるのは、異界から紛れ込んできた人々で、この大地の下に異界があると考えられているせいでそんな呼び名を持つ。たまに人の生活を脅かし、メイヴィンのいい金稼ぎの種になってくれる魔獣の多くも、同じ異界から来ているものらしい。
 地族はこの大陸の共通語と良く似た言葉を話したから、友好的な相手であればそれなりに付き合えるのだが、たいていの場合、彼らは魔力を持たないこの世の人間を虫けら程度にしか思っていなかった。
「ちょっとばかり言いがかりをつけられておりまして、こちらの言い値で満足していただければありがたいのですが、なかなか」
「地族に言いがかりをつけられるって、さすがランスだな。何したんだ」
「いや、わたくしどもの仕入れの担当と、ちょっとしたいざこざがあったようなのですが……」
「やくざに金を払うとつけあがらせるだけだぞ」
 奥からウルが言う。
「はあ。まったくそのとおりだと、主人も申しておったわけなのですが、さすがに屋敷まで押しかけられますと……地族ですから」
「で、追い払ってほしいと」
「はい」
「こっちもタダじゃないわけだが」
 金のことになると、たぶんメイヴィンはやくざよりうるさい。
 しかし当然、メイヴィンにとって得意先であるランス・ダージェンも、そんなことは承知している。
「メイヴィンさんとウルさんにはいつもお世話になっておりますし。二度と来ないようにご説得いただくには、お二方が適任だろうと主人も申しておりますので」
「値は?」
「ロート金貨5枚でお願いしたいのですが」
「5枚」
 人の言い値に文句をつけずには仕事を請け負わないことで有名な男は、なぜか今日に限って相棒をちらりと振り返った。
「ま、現物を見てから文句をつければいい。小物でそれ以上取ったら気の毒だろう」
「まあ、そうか。じゃあすぐに準備して行く。屋敷でいいんだな」
「はい。ありがとうございます、助かります」
 ジュートはぺこぺこお辞儀して帰っていった。


 ウルのやる気のない態度は明らかだったので、ランス・ダージェンの屋敷の者はメイヴィンひとりがやってくるとばかり思っていたのだが、それから半時間ほど過ぎて現れたのは、いつもの対照的な二人組だった。
 野生的な顔立ちに、躍動的な筋肉をまとった二十歳前後の青年と、黒髪、黒瞳で端正な顔立ちの、一見貴族のお坊ちゃんとでも言ったほうが見合うような二十代中ごろの青年。
 メイヴィンがいつもの長い棒をたずさえるのに対して、ウルはまったくの丸腰で、いかにも「見物に来ました」といったやる気のなさをただよわせていた。
 二人が屋敷の裏門までやってくると、すでに使用人が外で待ち構えていた。
「お待ちしてました、こっちです!」
 ランス・ダージェンはこの街の顔役を務める商人で、その屋敷は街でいちばん大きい。裏門とは言っても、普通の商家の表門くらいの立派さは十分ある。そこを通るたびメイヴィンに「これだけ金が余っているなら少々多めにせしめてもいいよな」と思わせる門だ。
 案内されながら、メイヴィンは顔なじみだった使用人に尋ねてみた。
「見たか」
「そりゃ見ましたよ!」
「でかい?」
「ああ、もう。天井に頭ぶつけてねえ」
「あほだな」
「でもあれ、すごい石頭ですよ!」
 こんな調子では何の情報収集にもならなかった。相手の身長の見当がついた程度だ。地族は往々にして、人とそっくりな外見でありながら人間より巨大だった。しかし大きさからは暴れたときの被害の程度がわかるくらいのもので、魔力の目安にはならない。
 通されたのは、ときどき舞踏会なぞも開かれるらしい大広間だった。別に地族と言ってもそこまで大きくないのだが、心情的に狭い部屋に一緒にいたくはなかったのだろう。それに、ここなら少々暴れても壊れるものが少ない。
 大広間の奥のほうで、この屋敷の主人と地族は立ち話しをしていた。使用人が何人か控えているものの、皆少し腰が引け気味だ。
 地族の身長は小柄なランス・ダージェンの1.5倍はあろうかという高さで、身体つきもいかつく、腕の太さが人の胴回りほどもあった。これでは魔力がまるでなかったとしても恐ろしい。
「これは椅子にも座らせてやらんという態度か。さすがは悪徳商人」
「ランスもお前にだけは言われたくないだろうよ」
「そうかぁ?」
 メイヴィンの物言いにウルがため息をついていると、気配に気づいたのかランスと地族、両方の視線がこちらを向いた。
「ああ、よく来たな!」
 安堵の色をにじませて、ランスが声をかけるのと、地族のただでさえ怖い顔が陰険にゆがむのが同時だった。
「なんだぁ? 妙なのを呼びやがったな! そういう魂胆かよ、ええ?」
 地族は最初から機嫌の悪そうな雰囲気だったのだが、いかにも用心棒ですといった風情で現れたメイヴィンを見てさらに頭に血が上ったらしく、わめき散らし始めた。
「理解が早いな、おい」
「常にそういう商売をしているからだろう。下品この上ない」
 メイヴィンは相手の短気さを嗤い、ウルは不愉快そうに眉をひそめた。
 町の顔役を務めるだけあって、こういう場面にも慣れているのか、ランスは地族の注意がメイヴィンにそれている間に少しばかり距離をとっていた。
 それでも、地族の腕がランスの胸倉に届くまで、あと一歩の距離。
 人の頭など簡単にひねりつぶせそうな手が、その体躯で威嚇するような、素早いとは言えない動きでランスに迫る。
「つっ、くそっ、てめぇ!」
 伸びた太い腕に、メイヴィンが投じたナイフが刺さった。それは果物の皮を剥く程度の用しかなさない小さなナイフだったが、地族の注意をメイヴィンのみに向けるには十分だった。
 もっとも、注意を向ける必要すらもなかったが。
 ナイフを投げるのと同時に走り出していたメイヴィンは、大広間の入り口から奥までの距離を一瞬で詰め、自分に向き直った地族の腕が伸びてくる前に、その足を棒でなぎ払った。
 地族は一撃で倒れはしなかったが、よろめき、吠えた。
「許さねえ!」
 人間に負けるとは思ったことがなかったのかもしれない。いくら怒鳴っても、その動きが洗練されるわけではなく、大振りにつかみかかる腕は、メイヴィンの髪にかすることさえなかった。
「てめ、動きが遅いんだよ!っと」
 あえていつもの棒をかなり根元のほうで持ったメイヴィンの攻撃は、その分普段より速さがそがれているのだが、リーチで地族の長い腕を上回る。そして、多少遅くなっても、十分この地族よりは早かった。
 さほどの時間もかからず、地族の両の脛に何度目かの打撃が入って、その巨体が大きくよろめいた。
 さらに、踏みとどまろうとする足を強烈に払う。
「うぉっ!」
 巨体が一瞬宙に浮き、どさっ、と大きな音を立てて床に仰向けに墜落した。
 間髪入れず、獲物に止めを刺す豹のようにメイヴィンが跳びかかり、地族の身体の上に乗っかってその喉元に棒をつきたてた。
 わずかに力を入れれば、その喉をつぶせるという体勢で、薄茶色の両眼が地族を見下ろす。
 にらんだわけではない。
 ただ見下ろしただけだ。
 しかし、巨体を誇る地族は、怖気づいたように目を見開き、身体を小さく震わせた。
 平凡な薄茶色は、メイヴィンの魂を映して金色にきらめき、畏れを感じずにはいられぬほどの気配を放つ。
「きさま、人間じゃ……」
 ないのか。
 つぶやこうとした口に棒の先をねじこんだメイヴィンは、舌打ちしつつ背後を振り返った。
「これ、どうするよ」
「片付けたほうがいいのか」
 メイヴィンはウルに訊ね、ウルはランスを見やって訊ねた。
「そりゃ、お願いできるんなら、町の外に捨ててきていただきたいがね」
「荷馬車と追加料金だな。別に俺はタダでもいいが、あれがうるさいから」
 ウルの言いように、「あれ」の金の亡者っぷりをよく知るランスも苦笑いした。
「あんたも苦労するね。あわせて10枚でいいか?」
「ああ」
 答えたのはメイヴィンだ。金のことに関しては、ウルには常に決定権が存在しない。
「じゃ、馬車を用意させるから、よろしく頼むよ」
 そこのところをよくわかっているランスは、万が一メイヴィンが地族を取り逃がしてもいいように離れていきながら、2人にうなずいてみせた。ランスが、半分腰を抜かした使用人に指図している様子を横目で見て、メイヴィンが声をかける。
「ついでに縄」
 わかった、の印にランスは手を振り、メイヴィンは、顎でウルを呼び寄せた。
 いかにも面倒くさそうにやってきたウルに、まだ地族の口に突っ込んだままの棒を持たせ、その巨体の上から降りる。
「おい、動くな、屑が」
 チャンスとばかりにメイヴィンに反撃しようと腕を動かしかけた地族は、上から降ってきた冷ややかな声に固まった。
 ウルの漆黒の瞳が、大気すら凍らすような冷たさで見下ろしていた。地族は瞠目して何事かうめいたが、喉に太い棒を突っ込まれていては、まともな声にはならなかった。
「おとなしく縛られてここから去れ。さもなくば、貴様のその鬱陶しい顔を細切れにして、魔獣どもに喰わせてくれよう」
 淡々としたその言葉には、虚構の響きはまるでなく、真実ウルはそうするだろうと思わせる力があった。地族にもそう伝わったのだろう、青くなって震えだした。
 そうしてウルが脅しをかけている間に、メイヴィンは縄を受け取りに行って帰ってきた。ウルと視線を交わして地族が戦意喪失したのを確認すると、手際よく縄をかけて巨体を縛り上げていく。
「ほれ、行くぞ」
 こんな厳重に縛ってしまってどうやって運ぶのだろうかと、遠巻きに見ていた使用人たちが訝る間もなく、メイヴィンは縄の端を持って引っ張り出した。
「おまえ、そんな重そうなもの引っ張って、縄の強度を考えたほうがよくないか」
「そうか。まあそうかもな」
 暢気に言っているが、引っ張られたほうはそれどころではなかった。縄はわざと首に巻きつけられており、首を絞められたくなければ、這いずってでもメイヴィンについていくしかない。そもそも脚まで縛られているから、この状態から立ち上がって歩くのは困難だ。
「鬼……」
 屈辱にうなり声を上げる巨大な芋虫を引きずり始めたメイヴィンを見て、ギャラリーがそう思ったのも、無理もないことだろう。



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