世界の果てにて不毛な夢を見る者ども



“人形”


 それは、とある昼下がりの出来事。
 金持ちの趣味で飼っていた魔獣が逃げ出して、その回収に森の奥深くまで出向いた帰り道。帰り道とはいっても、たどるのは獣道としかいいようのない細い踏み跡だ。ウルが先を歩き、捕まえた上等な毛並みの魔獣を縛り上げて肩にかついだメイヴィンが後ろを行く。
 その獣道の先に、黒い影がゆらりと浮かんだ。
 前を歩いていたウルの足が止まり、つられて前をよく見ていなかったメイヴィンも足をとめてその影に気づいた。
『人形遊びはそんなに楽しいかね』
 人の形をしているようだが明確な姿は見えない、ただ黒いもやのような影が、くつくつと笑いながら気持ち悪い声を出した。
「何の用だ、フォルトブレイア」
 ウルの知り合いか、と、そのウルの声が恐ろしいほど凍えているのを無視してメイヴィンは納得した。ウルの知己に気味の悪いのがいくらいてもちっとも驚かない。むしろ、まっとうな知り合いがいたらそのほうが驚くだろう。
『呼び出しだ。わかるだろう。いかに我らが人間どもより長命であっても、何年も顔を見せない同胞がいれば、どうしているかと気になろうというもの』
 影の口調は歌うようで、内容は無関係なメイヴィンが聞いても胡散臭い。ウルが人間でないことは、メイヴィンは最初から知っているので驚きはしないが、ウルを呼び出すような同胞とやらがいるというのには少し意外な感じがした。
 メイヴィンは、地族というのは群れない種族で、孤高の生き物といったイメージを持っていたのだが。こちらの世界に足を踏み入れる地族が、はぐれものばかりだからだろうか。
「気持ちの悪いたとえを出すな。今はあちらに戻るつもりはない。どうせ『会合』だろう。俺が行って意味があるとは思えん」
 メイヴィンの知る限り、ウルは他人からの誘いごとの多くを、今の調子できっぱりと断る。彼が時間をかけてまで接しようとするのは、メイヴィンだけだった。
 ウルが、どけ、とでもいうように手を横に払う。ふわ、と影が消えうせて、やけにあっさり消えたなぁとメイヴィンが思った次の瞬間に、激しい衝撃で身体が横へ吹っ飛んだ。
「ぐはっ」
 なさけない、つぶれたようなうめき声を発して、メイヴィンの身体は下草の上に倒れこんだ。
 ああさすがウルの知り合い、やることが意味不明でえげつなくていやがる。
 身体が盛大にやられた気がしたが、メイヴィンは倒れたまま、一瞬そんなことを考えた。ふと背中の湿り気に気づいて、慌ててその元をたどる。湿り気は担いでいた魔獣の血で、魔獣はメイヴィンをふっとばした攻撃のあおりを受けて、ものの見事に首を掻っ捌かれていた。
「!!!」
 生きて連れ戻すのが仕事だったというのに!
 身体のダメージのため、起き上がれもしないままワナワナと震えるものの、死んでしまったものはどうしようもない。まして、犯人は実体のない影ときた。
『まったく、これのどこが面白いのか理解しかねるが、大事な人形を壊されたくなければおとなしく帰ってくることだ』
 せせら笑う気持ちの悪い声が、ウルをあざけるだけあざけって、ふっと消えうせた。
 残ったのは、魔獣の血で半身を染めたままひっくり返っているメイヴィンと、怒気でいつもの数倍は怖い顔になっているウル。
「待て、落ち着け、ウル。なんで俺の責任のないことで俺が睨まれる」
「おまえを睨んでいるわけじゃない。おまえ、ぼろぼろだぞ。無駄口を叩くな」
「そうだ! てめえの気持ち悪い知り合いのせいで獣が死んじまったじゃねえか。この落とし前はどうつけてくれんだよ」
「……黙れと言ったのが聞こえなかったか?」
「で、もだな……」
 ひときわ低いウルの声に、メイヴィンの反論は続かなかった。近寄ってきてひざまずいたウルが乱暴にメイヴィンの身体を抱き起こし、そのままキスをする。
 壊れた部分を確かめるように、ウルの手が一通り身体を這う。そして確かめ終わると、その間ふさいだままだった唇を離して、いまいましげに舌打ちした。
「おまえ、感じ悪いよ」
 メイヴィンが感じたことをそのまま言うと、物凄く睨まれた。その怖い顔のままで、自分の左手の人差し指に歯を立てて噛み破ると、血のあふれる指をメイヴィンにつきつける。
「舐めろ」
「……」
 抵抗する余力はないし、もとより抵抗する理由もあまりない。メイヴィンは、口の中につっこまれた指を丹念に舐めた。
 別に、メイヴィンは吸血鬼ではない。ただ、唾液よりは血のほうが精気が強いのは事実だ。深くてくらくらするキスをかまされるより、血の滴りの一滴のほうが、よりメイヴィンを蕩けさせる。
「ん……」
 血の味がしなくなってメイヴィンが指を離した頃には、もうウルの治療も終わったらしく、さっきまであった「身体が壊れていることを伝える感覚」が消えている。それを痛みというなら痛みだろうが、この身体になってから、痛いと思ったことは一度もない。
 少しは機嫌が直ったかと思って見上げるウルはまだ怒り顔で、そのままメイヴィンを担いで来た道を戻り始めた。
「え、どこへ……あ、獣」
「あとで拾え」
「あとって……」
 屍骸をそのまま置いといたら、獣に食われて、せめて売り物にできそうな毛皮すら駄目になってしまうだろう。メイヴィンは未練たっぷりだったが、こうなったときのウルに何を言っても仕方ないのはよく知っていた。
「くそ、おまえこそあとで責任取れよな」
 結局、いつもそう言うことになってしまう。
 主導権を握っているのも、相手を支配しているのも、ウルのほうなのだ。そんなこと、最初からわかってはいても、認めたくないだけで。
 少し道を戻って、なぜ移動したのかと思っていたら地面に身体を下ろされて、だいたい察した。さっきの場所は潅木の茂みの合間といった感じで、平らでひらけた地面が少なかったのだ。
 寝かされるまま仰向けになった身体の上に、ウルがのしかかってくる。
 さっきのキスと血とだけでは精気が足りないと身体が言っているのはわかっていたから、メイヴィンは文句を言うのも諦めて、早々に力を抜いてウルに身を任せた。



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