悪魔?


「青山。あいつは悪魔だ、気をつけろよ」

 そんな忠告を受けたのは、社内最年少課長とやらが赴任してくる前の日だったか。
 悪魔なんて、穏便じゃない単語を聞かされて、ちょっとびびったもんだが。
 やってきた新しい上司は、ちょっとクールな感じがする長身の男で、挨拶の際にふと浮かべた笑顔で女性社員をノックアウトしたくらい男前だった。
 特にフレンドリーなわけじゃなく、表情も感情の起伏もわりと乏しいほうで、仕事にはとことん厳しいのに何故か皆従ってしまうカリスマ性の持ち主だと気づいたときに、「悪魔」の意味は理解したと思っていたのだが。
 今朝、そうじゃなかったとわかってしまった。
 いや、俺に忠告した奴だって、そんな意味で言ったわけじゃないだろうけどな!

「どうした、圭祐。難しい顔をして」

 あんた、いつの間に親しげに名前で呼んでんだよ!
 と全力で主張する気力はなかったので、俺はため息をついて枕元までやってきた男――俺の上司であるはずの佐々木典之――を見上げた。
「普通悩みますよ」
「そうか?」
「てか、痛いんですけど」
「どこが?」
「言わせたいと?」
 いや、頭も痛いけどな! 二日酔いで。



 昨日は、とある企画の打ち上げで、課内のほとんどが参加して居酒屋で一次会をしていた。
 普段はクールな上に「他人にゃ興味ありません」って顔をしてる佐々木だが、酒を飲ませると多少テンションがあがるせいか、みんなで寄ってたかって飲ませているうちに、なぜか飲まない人以外全員が、かなり出来上がった状態になっていた。
 要するに、昨日はやたらテンションの高い飲み会だった。
「嘘だぁ! 課長、フリーなんですか?」
「えー! じゃあ、じゃあ、どんなのがタイプですかっ?」
 普段、怖がってあんまり近づきたがらないくせに、酔っ払いの勢いか、女の子たちは軒並み佐々木に群がって好みのタイプを聞き出そうとしていた。
 まあ、お買い得な男に見えるのは事実だろうけど、俺が女なら絶対ご遠慮したい。彼はなんつうか怖すぎる。彼女たちだって普段はそう思ってるだろうに、酔いとは恐ろしいもんで、まるで口説いてほしいかのような食いつきっぷりだ。
 佐々木のほうも、彼女らの悪乗りしたテンションはわかってるんだろう、苦笑いしながら、ふと視線をよそへめぐらせた。それは、ほかの男の助けを求めたように、見えなくもなかったんだが。
 なぜか視線が合った。

「俺のタイプ? そうだなあ、まあ、正直、青山でどんぴしゃって感じなんだけど」

 場が固まった。
 と思ったのは、どうも俺だけだったらしい。
「きゃーーっ」
「出た!!」
「いやああああ」
 なぜか黄色い悲鳴が、ちっとも嫌そうじゃなかったり。
 爆弾落とした本人も、なんだかとても楽しそうだったり。
 さらには、男どもからも「佐々木コール」がかかったり。
「青山、ちょっと来い」
 いまだ女の子に囲まれたままで、佐々木は悠然と俺を手招きした。
 無論、断固お断りした。
「やですよ」
「課長命令」
「パワハラですって、それ」
「ぜんぜん構わないから」
 意味分かりません。
 普段、あまり表情を変えることがない彼があんまり楽しそうなんで、余計に怖くて拒否してたら、向こうから来た。
 周囲はもう大盛り上がり。酔っ払いの考えることはわけが分からん。
 俺もいい加減酔っ払っていたので、逃げるのも億劫でそのまま座っていたら、隣に座ってきて、ひょいと引き寄せられそうになった。
 逃げようとしたら、後ろにひっくり返ってしまって。
 なんでだか、押し倒されたような格好で。
 キス、されました。はい。
 そのあとの展開は正直、よく覚えてないんだが、ただひとつ確かに言えるのは、2次会で佐々木にやたら飲まされたことで。
 で、目が覚めたら佐々木の部屋のベッドで寝てたってわけだ。



 確信犯で俺をつぶした男は、にやにや笑いながらベッドに腰掛けてきた。そのいつものクールさとのギャップはいったい何なんだか。
「そりゃあ、だって、好きな奴が自分ちのベッドで裸で寝てるんだぞ」
「ぎゃあああああっ」
 ストレートな回答を聞かないために、途中から大声をかぶせてみたんだが、あんまり効果はなかった。
 佐々木は腹を抱えて笑っているし。
 かえってケツだなんだ痛いし。
 あれ、そういえば、なんかおかしいような気が……。
「そんなに痛いもんかね」
 あんまり軽く訊いてきたんで、さすがにムッとした。
「佐々木さんもやってみますか」
「ん、圭祐がしたいって言うなら、提供するにやぶさかではないけど……」
「い! いらないいらないいらないいらない!」
「いや、そこまで固辞しなくても、俺もできればご遠慮したいし」
 相手してるのに疲れてきたんで、俺はとりあえず身体を起こそうとした。シャワー浴びたい。
「いてっ、マジ痛ぇ」
「ちょっと待て」
「えっ?」
 起こしかけていた身体を、ひょいと抱き寄せられて、抵抗する間もなく固まった。昨夜のことはてんで覚えてないのに、佐々木の胸と密着したその感じを、なぜか知っていると思った。
「わっ、ちょっと待て! 待ってってば、わーーーー!」
「うるさい。ちょっと黙れ」
 ケツに手を回されて、ヤバイと思って暴れようとしたら、ぽかりと頭を殴られた。ひでぇ。
 丸みを確かめるように手がさがっていって、あからさまにじくじくと痛んでいる場所のまわりをゆるりと撫でる。
「馬鹿。そんな顔したら、我慢できなくなるだろ」
「ど、どんな顔だよ……」
 必死で言い返したのに、佐々木は淡く笑ってそれに答えず、口付けで俺の唇をふさいだ。あやすような優しいキスに、抵抗するのも忘れていると、やがてゆっくりと唇は離れていった。
「まだ痛いか?」
「ふぇ? ん、え?」
 痛くない。
 さっきまで、明らかに切れ痔か何かになったような感触だったあそこに、違和感がない。めきめきしてた腰が、すっきりしてる。
 狐につままれた気分で佐々木を見つめると、彼はにやりと笑った。何か含むところがあるときの、かなり意地の悪い笑みだ。
「シャワー浴びるんじゃなかったのか?」
「ん、ああ、そう、そうだよ。風呂貸してください」
「別にタメ口でもいいんだぞ」
「ご遠慮しときます」
 さっきからタメ口と敬語の混ざった妙な状態になってたせいか、そう言われたが、そんな恐ろしいことうなずけない。
 なんとか無事バスルームに転がり込んだ俺は、鏡に映った自分の身体のやらしい状況にくらくらしながら、とりあえず熱い湯を頭からかぶった。
 これまでの展開を思い起こすに。
「ひょっとして、『悪魔』ってのは例え話じゃなくて事実なのか?」
 そんな疑惑が思い浮かんだのも、無理もないことだと思うんだが。



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