言の葉の魔法



あのね、大きくなったら、……のお嫁さんになるの。
お嫁さんになってね、赤ちゃんを、んーとね、5人産むの。


1


「ネイゼルさま!」
 突然開いた扉と、場違いな甲高い声に、ネイゼルは眉間にしわを寄せ、振り返って確認した相手の姿にひそかなため息をこぼした。長い黒髪に黒い瞳。地位を 示す灰色の上衣を身に着けたこの美貌の青年には、そんな険しい表情が良く似合ったが、相手は彼のことなど目に入っていない。
「ネイゼルさま、聞いてください!」
 ケイトリン・ヴァイラ姫。モリアの北部を治める大貴族の長女。くるくるした金髪と、明るい水色の瞳の美少女は、決してこんなところにいるべき人ではない。
「また従者もつけずにおいでになったんですか、姫は」
 ネイゼルの、単調だが、咎める色を含んだ問いかけに、少女は唇を尖らせた。もう16歳を迎え、結婚してもおかしくない年齢であるのに、彼女にはまだまだ幼さが目立った。
「アルバレイズで、わたしに不届きな真似をする人間がいるとおっしゃるの?」
 反抗的な口調に、ネイゼルは苦笑せざるをえない。
 氷の魔術師と陰で呼ばれている、いつも冷めた雰囲気で沈着冷静にことを為すネイゼルは、このアルバレイズの内でも一目置かれ、恐れられている。外部では、なおのこと。冷酷な男らしいと、根も葉もない噂話が流布しているのも、ネイゼルは知っている。噂を知っているとすれば、このお姫様の態度は一級品だ。
「不届きな輩は、いないとは申せません。完璧な人間も、完璧な場所もありませんので。ですが、私が申し上げたいのはそういう意味ではありませんよ」
 お姫様は、せめて侍女のひとりくらい供に連れて行動しているものだろう。それもお行儀のうちだ。
「もぅ、みんな説教くさいんだから。わかってるわよ、ひとりで歩き回るなんてはしたないって、そう言うんでしょう? でも、ラジなんか連れてて、アルバレイズの中を自由に歩かせてもらえると思う?」
「思いませんね。それで、今日はどんなご用件で?」
 ネイゼルの口調は、あくまで淡々として愛想がない。歓迎されてないことは、さすがにわかるのだろう。ケイトリン姫はちょっと口ごもったが、すぐに元の調子を取り戻した。
「あのね、あなたの魔術で、陛下のお気持ちをわたしに向けてほしいの」
「はあ?」
 さすがに呆れて問い返し、ネイゼルはすぐ咳払いをしてごまかした。
 陛下。モリアの国王である人は、現在22歳。独身。
 国内外のやんごとなき姫君たちにとって、この上ない花婿候補だ。
 無論、ケイトリン姫にとっても。
「あなたという方は。もしかして、城主さまにはすでに?」
「もちろん。シグマさまにも、あなたのほかの城主佐のお二方にも、お願いしてみたんだけど」
 ケイトリンの行動力はただものではない。きっと、思いついてすぐ、王宮にいるシグマ老に持ちかけてあっさりはねつけられ、意地になってアルバレイズまで乗り込んできたということだろう。
「それで、城主さまは?」
「陛下のお気持ちを操作するようなことは、アルバレイズの城主の名誉にかけてできないって」
「あの方ならそうおっしゃるでしょうね。あとの方は」
「お二方とも、そういうことは、お得意ではないそうよ」
「なるほど。それで、苦手な私のところまで足を伸ばしてくださったわけですか。でも、私もお断りですよ。あいにくですが」
「どうして!」
 なぜこの小うるさい小娘を相手に、説教なぞしなければならないのかと情けなくなりながら、ネイゼルはとりあえずそばにあった椅子に座り、ケイトリンにも椅子をすすめた。
「姫は、なぜ陛下のお気持ちを姫に向けたいのでしょう」
「それはもちろん、陛下の花嫁になりたいからだわ」
「陛下のことはお好きですか」
「もちろんよ!」
 心外だといわんばかりの声に、ネイゼルは薄く笑う。
「でも、陛下はあなたのことがお好きではない、と」
「すっ、好きじゃないというか……その……」
 わざと選んだ、傷つけるような言葉に、ケイトリンの表情が曇る。
「少なくとも、お妃に選んでもらえる自信はないのでしょう? そんなことでどうしますか、ケイトリン・ヴァイラともあろうものが。自分以外の力で勝ち取った愛など、泡沫のごときもの。私の魔術で、陛下のお気持ちがあなたに向けられたとして、あなたは陛下のお気持ちを信じられますか? 自分の価値を認められますか? もう少し考えてものをおっしゃいなさい」
 ガラにもない説教をしてしまったと、ネイゼルが顔をしかめていると、ぱらぱらと力のない拍手が聞こえてきた。
「ネイゼルの言うとおりだ。まったく。私の気持ちをどうこうしようなんて、そんな気持ちの悪いことを考えるなよ、ケイト」
「おや、姫。案外陛下にお気持ちを頂いてるようじゃないですか」
 振り返りもせずにネイゼルが言うと、こちらは振り返って声の主の姿を確かめたケイトリンが、悪戯を見つけられた子供のように唇を尖らせた。
「ただの妹扱いでしょ。リズ・アンと一緒」
「無視するな、そこの二人!」
 なぜか現れた人は、ケイトリンが憧れる国王その人だった。扉に片手をついて、苦笑している。
 赤みを帯びた淡い色の髪が、柔和な印象の顔を縁取り、きらめく碧眼が勝気な印象を与える彼は、この国の王家の伝統にたがわず、輝かんばかりの美人だった。
「とにかく、帰るぞ、ケイト。よく見てみろよ、城主佐どのは、あさっての儀式の準備で忙しいんだ」
 手招きされて、ケイトは渋々といった仕草で王に歩み寄る。素直でないことだと、ネイゼルは苦笑した。
「陛下は交代式の打ち合わせで?」
「ああ。アルバレイズの連中の話は、大概長くて肩がこる。おまえの演説は短くしてくれよ」
「演説ではなくて、呪文なのですが」
「そう? まあいいけど」
 姫を連れ帰りにきたはずの若い王は、なぜかすぐには立ち去らず、ネイゼルを見ていた。
 何か言いたそうな様子に、ネイゼルが首をかしげる。
「まだ何か?」
「いや。邪魔をしたな。明日の出し物には期待しているよ」
「出し物ではなくて邪祓いの儀式なのですが」
「そう、それ。じゃあ帰るよ、また明日。行こう、ケイト」
 王は、少々不満げな姫の機嫌を取るために、手をつないで引き上げていった。
 その後姿を見送って、ネイゼルが大きくため息を吐いたことなど、この二人は知るまい。


 アルバレイズは、モリアの王宮の背後にそびえ立つ城塞だ。
 いつ、誰の手によって築かれたかもさだかでない、古代の遺跡でもある。だから、むしろアルバレイズの足元にモリアの王家が王宮を作ったと言ったほうが正しいのだろう。
 不思議な魔力を秘めた岩盤の上に立つアルバレイズは、古来より魔術師の城だった。
「ネイゼルさま、すみませんでした。お知らせにあがるまえに、ケイトリン姫に突撃されてしまいまして」
「アレを止めるのには、修行が必要だろうな。別に構わない。他愛もない我侭話に付き合わされただけの話だ」
 一応、弟子ということになっているクーランが姿を見せ、客人の唐突な登場を弁解する。城主佐であるネイゼルの居室には、来客用の控え室だってついているし、弟子や補佐役その他で、常時5、6人は詰めている。普通の来客なら必ず控え室で待つだろうし、万が一の不審者の侵入も、弟子の魔術師が阻むだろう。しかし、王宮で豆台風とあだ名されているらしい姫君には、どうも常識が通用しなかったようだ。
「陛下は。ひとりで来られたようだが」
「いえ。表まで、ヴァン・クレイン卿がご一緒に。ケイトリン姫に逃げられてはいけないから、ネイゼル様に知らせぬようにとの仰せで」
「そう……。クーラン、私は仕事を続けるから、今度こそ勝手に人を入れないでくれ」
「承知しました。失礼します」
 3つだけ年下の、つまり王と同い年の弟子は、頭を下げて退出した。
 ネイゼルは自分の言葉どおり、目つきを厳しくして仕事に戻る。

 城主佐というのは、事実上のアルバレイズの守護者であり、最高権威でもある。
 常時3人がいて、合議によってアルバレイズという魔術師の自治組織を支配し、その傑出した魔力によってアルバレイズの城と住人を保護している。
 300年程前、モリアの王家がここに王宮と王都を築いたときから、その伝統は続いていた。
 本来、主となり守護者となるべき城主は、その要塞の中には住まわない。
 城主は、万が一アルバレイズがモリア王家に反旗を翻したときにその盾となるべく、王宮の住人となる。アルバレイズは王家からも王国からも独立した自治体として認められていたが、城主のみは王に忠誠を誓うのだ。それは、300年前、アルバレイズの自治を保障するために出された苦肉の策であったらしい。
 もっとも、今現在のアルバレイズとモリア王家の関係は、先の一幕を見てもわかるとおりに、友好的なものであった。

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