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 ネイゼルは、いらだたしげに、きちんと整えられた黒髪をかきあげた。
 背後で、さっきまでネイゼルの身支度を整えていた女魔術師たちの、「あ〜」というか細い悲嘆の声が聞こえたが、最初からそんなことを気にする性質ではない。
 もうすぐ交代式と呼ばれる、ネイゼルを城主佐として披露する儀式が始まるというのに、精神統一どころか、落ち着くことさえ出来ていないのは、小憎らしい誰かのせいだ。

 昨日のことは、少し言い過ぎたと思ったのだ。
 いや、あの発言のうちに、間違った言葉などひとつもなかったと自分では信じているが、レイ・セリュウムが傷ついたような顔をしたから、言いすぎだったと反省した。
 レイ・セリュウム王が、先王の家臣たちの冷たい視線にめげることなく戦ってきた、芯の強い人だということは、ネイゼルもよく知っている。その王に、辛そうな表情をさせてしまった。
 だから、今日、儀式が終わったら謝ろうと思っていたのだ。
 無論、意見を曲げるわけにはいかない。アルバレイズのしきたりは、しきたりだ。それを曲げることは、アルバレイズの存在自体を曲げることになる。しかし、発言そのものへの謝罪は、しなければと思っていた。
 そして、半時ほど前、王が体調不良で交代式を欠席するとの知らせが、ネイゼルのもとへ入ってきた。
 大まかに言えば、ネイゼルの苛立ちの原因とはそんなことだった。

「陛下、どうなさったんでしょうね。おとといこっちへいらしたときには、元気そうだったけれど」
 どうやら、空気を読む能力がないらしいクーランの言葉を、当然ネイゼルは無視した。
 背後で誰かにつつかれているのも、それでも首を捻っている様子も、しっかり伝わってしまったが、わざわざ「昨日もぴんぴんしていた」と教えてやる気にはなれない。
 ネイゼルが舌打ちすると、近づいて、刻限を告げようとしていた年長の魔術師が、びくりと肩を震わせた。
 まったく、自分は猛獣か何かかと皮肉ってやりたくもなるが、我慢して顔を向ける。
「時間ですか」
「あ、ああ、はい。準備は整いましたので、あとはご自由に」
「はい」
 ご自由に、とは言うが、王は来なくても他の客は大勢詰め掛けている。見せ物ではないが、「出し物」だと言ったレイ・セリュウムの言葉も、あながち冗談ではない。
 呼ばれてしまえば、心の準備はまったくできていなくても、出ていくしかなかった。
「まったく……。楽しみにしてるんじゃなかったのか」
 成人して、アルバレイズに出入りできるようになって以来、はじめての交代式だから、ぜひ見てみたいと思っている。そんな言葉を掛けられたのは、2ヶ月前。城主佐着任後、はじめて王宮へ挨拶に出向いたときのことだ。
 以来、会うたびに似たような趣旨の言葉をかけてくれていたのは、ただの社交辞令だったとでも言うのだろうか。
 昨日の話からして、非常事態だから来られないというのならわかるが、王宮ではまだ出兵への気配は見えない。戦を控えた、切羽詰った空気は、まだ感じられないというのに。
 ネイゼルは、際限なく続く苛立ちと疑問と、もろもろの邪念を、ひとつ大きなため息を吐き出すことで、頭から追い出した。
 百年にひとりの逸材と言われる天才でも、雑念にとらわれていて大きな仕事が出来るはずがない。
 そしてネイゼルは、自分の心が揺れていても、それを封じ込めて普段どおりの力を引き出すことができる程度には、経験も才能も豊富な魔術師だった。



 交代式の式次第は、単純なものだ。
 城主の開会の言葉。
 次いで、生きていれば前任の城主佐からの挨拶。
 そして、新たに城主佐となった者が、アルバレイズの城塞全体に、邪祓いのための魔術を施して、儀式は終わる。
 邪祓いの魔術は、数時間に及ぶこともあり、数分で終わることもある。が、それは人々がこぞって見に来るだけのことはある、壮麗な魔術だった。



「行けばいいのに」
 勝手に入ってきた人に声を掛けられて、レイ・セリュウムはもぞもぞと体勢をかえて、そちらから顔が見えないように枕に顔を埋めた。
「なんで来るんだよ、リズ・アン」
「不貞寝なんて、格好悪いという以前に、馬鹿みたいだと思わないの」
 王を相手に好き勝手言っている人は、その実妹だ。王の右腕であるヴァン・クレインが、10歳の年の差をものともせずにかっさらっていった女性でもある。無論、レイ・セリュウムが反対すれば結婚は実現しなかったのだろうが、母親が自分たちの父親と結婚できなかった経緯を知っている身としては、彼女の恋を邪魔することなどできなかった。
「でてけよ」
「ばーか。なに、ネイゼルに冷たいことでも言われたの? クレインは、その場にいなかったから、何を言われたかまで知らないって言うし。役に立たないわよね、そんな大事なときに席をはずしてるなんて」
 不貞寝を決め込んでいる兄が、顔をあげようともせず、返事もしてくれないので、リズ・アンはくすぐってやろうかと考えつつ腕を組んだ。
 仮病を使うなんて、およそ兄らしくない。だいたい、一見儚げにも思える容姿の彼が、実はとても健康優良児であることくらい、妹はちゃんと知っていた。
「ケイトリン姫が、きゃんきゃん言って心配してたわ。お兄様が体調不良で公務を休むなんて、珍しいでしょう?」
「おまえ、あの子と仲がいいのなら、私に結婚する気はないってちゃんと教えてやれよ」
「言ったわよ。でも、乙女の夢がそれでくじけると思う?」
「知らないよ、私は乙女じゃない」
「似たようなものじゃないの」
 ずけずけと言いたい放題にされて、普段ならこのあたりで腹の立ってきたレイ・セリュウムが反撃に回るところなのだが、本気でいじけているらしい彼は顔をあげようともしない。
 リズ・アンはため息をついた。
「始まっちゃうわよ、儀式」
「わかってるよ」
 苛立たしげに返されて、ははーんと思い当たる。本当は行きたいのに、彼には行けない事情があるのだ。それも、かなりくだらない……いや、自分でもやはり行けないかと思いなおし。
 リズ・アンは、微笑みながら兄に呼びかけた。
「じゃ、お忍びで出かけちゃえば? 今なら王宮の中も人気が少ないし、アルバレイズだってああいう儀式のときは人だらけでぐしゃぐしゃだって聞くし。見つからないわよ」
「…………本当にそう思う?」
 かかったな、と、王妹はあまりお行儀がいいとは言えないような表情でほくそえんだ。
「無論、お兄様が上手くやればの話だけど」
 そう言われて、なおも布団の中で丸まっているようでは、レイ・セリュウムではないと、妹は思うのだ。

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