車から降りて、半地下の車庫から玄関のほうへ階段をあがっていくと、ちょうど出かけるところであったのか、目当ての母子がポーチへ出てきていた。
「カズ!」
 最近幼稚園に通うことになったのだという、4歳のやんちゃ坊主が、横柄な口調でそう呼ぶ。
 私は、思わず唇を緩めて挨拶した。
「こんにちは、瑞樹さん。お邪魔します、奥様」
「何かあったの」
 子供を連れた、凛とした佇まいの母親は、私を見てそう訊ねた。無理もないだろう。私がこの人たちのもとへ顔を出すのは、十中八九、組関係のトラブルがあったときだ。
「例の大島の件で、懲役貰ってた組員が今日釈放になるらしいので」
「復讐に来るかも、ってこと?」
「ないとは言い切れませんので、落ち着くまで人を付けさせていただきます」
「そう。今からこの子の服でも見に行こうと思っていたのだけど、それなら一人で出てくるわ。荷物持ちに誰か貸してちょうだい。あなたには瑞樹をお願いしていいでしょう?」
「ええ。古木、石井、行って来い」
 若いの二人を振り返ってそう言うと、古木が怪訝な顔をした。
「家のほうは吉見さんひとりでいいんですか?」
「ああ。もともとセキュリティは万全なんだ、気にするな」
 うちの組長……普段は社長と呼ぶことが多いが……の、滅多に寄りつかない本宅は、日常は「やくざ」の世界から離れている。事務所はまるで別に2ヶ所あるし、別宅といいながら毎日帰っているマンションもあり、この本宅は彼にとってたまに妻子の顔を確認しに行く場所にすぎない。
 それでもやくざの組長の家には違いないから、安全を考えて設計してあったし、万一の時には誰かがすぐ駆けつけられるようにはしてあった。
「いってらっしゃーい」
 母親に元気に手を振って見送りを済ませると、子供は私を見上げてにっこりと笑った。
「カズ、今日は何して遊ぶ?」
 父親に似た、きっと将来ハンサムになるだろう顔立ちの子の、きらきらとした笑みに、自然と私も笑みを返す。
「そうですね。何しましょうか?」


 遊び疲れた子を寝かしつけて、その無邪気な寝顔を見下ろしていて、ふと違和感を覚えた。
「だっ」
 誰だ、と叫びかけて顔をあげ、そのまま固まってしまう。
 子供部屋の入り口に立ってこちらを見ていたのが、この家の主だったからだ。
「いつのまに……」
「鈍いな、和敏。そんなので留守番になるのか?」
 どこかしら不機嫌な様子の男は、低い声でそう嫌味を言ってから私を手招いた。
「来い。瑞樹を起こすなよ」
 つい数時間前に事務所で別れたところなのに、なんでまた別行動でこっちに来たりしたのだろうと思いながら、私は静かに彼の後を追った。
 ついた場所はリビングで、さっきまで瑞樹の相手をしていたため、片付け切れなかったおもちゃがまだ転がっていた。
「いっそのこと、子守りを仕事にするか? 有紀に喜ばれるぞ」
「あなたがそうしろとおっしゃるなら、私に否やはありませんが」
 大真面目に応えてやると、男が微妙に嫌そうな顔をする。勝った?とひそかに思いながらも、無論それを顔に出したりはせずに、私は少し考えて言葉を繋いだ。
「小さい子と遊ぶのは、苦手ではありませんから、瑞樹さんの相手をするのは楽しいですよ。けれど、この家は苦手です」
「奇遇だな、俺も苦手だ」
 おそらく、お互いに言いたいことは同じなのだろう。
 男は苦笑して、それから私の腕を掴んで引き寄せた。
 そして、もう一方の手が顔に近づいてきて、私の眼鏡を摘んで取り去ってしまう。
「何を……」
 唇を寄せられて、口付けを受けて、私は驚いて目を見開いた。
「気にするな」
 男は平然と嘯き、私の身体を抱き寄せて、またキスしようとする。
「あっ、でも、もうすぐ帰って……」
 男の妻は、ショッピングに出かけただけなら、もう帰ってきてもおかしくない。こんな場所でこんなことをしていれば、どういう事態に陥るかは目に見えている。
 だが、男はふっと笑ってみせた。
「気にするな、どうせあいつはおまえのことも知っている」
「なっ」
「意外だったか? 言っておくが、俺が教えたわけじゃないからな。女を見くびると痛い目に遭うぞ、和敏」
「し、知ってるって……」
 男と私の関係を知る者は、あまり多くない。お互いに、吹聴しまわってメリットのあるようなことではないから、組の幹部でさえ知らない者のほうが多いのだ。
 男の妻に、この関係を知られているというのは、私にとって十分衝撃的だった。
 絶句する私を見て少し苦笑して、男は私を煽るように口づけてくる。
 そのキスに、身体をたどる手つきのいやらしさに思考を奪われて、私は途中であれこれ考えるのを諦めた。
 誰がどう思おうと、この関係は男が望んでしていることで、私に責任があるわけじゃない。
 そんな言い訳を誰にともなく思い浮かべても、どうなるものでもないのだが。
「ん、はっ、しゃ、社長!」
 ソファに押し倒されて、思わず声を上げた。けれど、見上げた男の目が本気の鋭さで私を見据えていたので、その行為に抗議することはできなかった。
 彼がやるというなら、それがどんなことだろうと私は従うしかない。
 するりとネクタイが引き抜かれて、ワイシャツのボタンをいくつか外される。
 シャツの上から、胸の尖りをやんわりと撫でられ、摘まれると、それだけで慣れた身体は興奮し始める。
「あ、ふぁ」
 股の間に入った男が、意図的に股間を押し上げるように足を動かし、鼻から抜けるような声が漏れた。
「いやらしい身体だ。もうその気になったのか?」
 言葉のわりに、男はどこか楽しげだった。
 いつのまにかシャツが全部はだけられていた。さんざん弄られた乳首はじんじんして、見なくても物欲しげに赤く尖っているだろうことがわかった。
 手のひらでゆるく股間を包まれて、思わずその手に押しつけてしまう。
「してほしいか?」
 問われて、私は男を見上げた。
 応えを促す視線に、唾を飲み込みながらもうなずくと、満足げな笑みが男の顔に浮かぶ。
「本当に、随分いやらしくなったもんだな」
 布越しに、大きな手が私自身を包み込み、ゆっくりとこすられた。
 ただそれだけのことで息があがって、半勃ちだったものがますます熱くなってくるのがわかる。
 私が熱い息を吐き出して身をよじると、やけに優しく顔を撫でられた。
「だが、残念だな、和敏。タイムリミットだ」
「え……!!」
 その意味するところを悟って、私は一気に夢から覚めた気分でソファから跳ね起きた。
 特に物音は感じなかったが、おそらく車庫に車が入ったのだろう。そうすると、今すぐにでも玄関の扉が開いておかしくない。
 そう思うと、先ほどまでの興奮など、シャボン玉がはじけるように消えうせた。
 私が焦ってワイシャツのボタンをとめていると、
「和敏」
 と気安い口調で呼ばれ、はい、と顔を上げたところへ眼鏡が差し出されていた。受け取ろうとする間もなく、男がそれを私にかけてくれる。
 あまりお目にかかったことのないサービスに、私が首をかしげて男を見上げると、男はにやりと笑って身を翻した。
「急げよ。俺は有紀を引きとめてやるほど優しくないぞ」
 もう帰るらしい。何をしに来たのだとさらに首をひねりながらも、私は慌てて身だしなみを整えた。
 おかげで、男の奥方が家に入ってきたときには、きちんと服を着なおしていたが。
「ただいま、吉見」
 と声をかけてきた彼女の笑顔に、何か裏がありそうに見えてしまったのは、致し方ないことだろう。
 彼女は澄ました笑みでこう続けたから、私の感想もあながち間違いではあるまい。
「もうちょっとゆっくり帰ってきたほうがよかったかしら?」
 私はとりあえず、動揺を悟られないようにひとつ息をついてから応えた。
「いえ、お早いお帰りで助かりました」

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