「吉見の兄ぃ。新田の兄貴が忘年会いつがいいかって言ってるんですけど」
伝票のチェックをしていたら、ノックと同時に顔を覗かせた古木がそう言ってきて、吉見は首をかしげた。 「もうそんな時期だったか」 「兄ぃ。ボケてんですか。もう11月も末ですよ。毎年年末は慌しいってんで、去年も12月の上旬には新田の兄貴が忘年会企画してたでしょう」 「ああ、そうだったな」 そうは言われても、身内の飲み会など顔を出すこともほとんどないから、すっかり存在自体を忘れていた。組として正式なのは年末にするし、年初は本家の総会などあって非常に気を遣う。その前に馬鹿騒ぎしてしまおうという組の内輪の会は、おそらく組長をのけ者にした無礼講のものに違いない。 「私は遠慮しとくよ。毎年この時期は何かと慌しいし、おまえらの飲みに付き合っても楽しそうじゃない」 身もふたもない答えように、古木が嘆息した。吉見はこういう商売の人間にしては温厚であるし、冷たいわけではないが、時折とても辛辣だ。 「……兄ぃー、そう言わずに。こういう機会でもなきゃ、一緒に飲むこともないじゃないっすか」 おそらく、新田に強く言われてきたのだろう。あまり押しの強くない古木が、妙に引き下がる。 吉見は、組の宴会部長とも言うべき男の顔を思い浮かべて首を振った。組長の片腕と称される同士であるが、吉見とは正反対の男だ。 「資金援助くらいするから、勝手に馬鹿騒ぎしてこいよ。どうせ新田さんの発案ってことは、店の女もだいぶ動員するんだろう」 「らしいっすね」 ますます付き合えない。そんな宴会に立ち寄ろうものなら、たちまち機嫌を損ねる相手がいるのだと、いっそのこと吹聴してやりたいものだ。 組長に心酔しており、ついでに吉見にもよく懐いているこの単純そうな青年にそんなことを吹き込んでも、面白いリアクションが見られるという以外に良いことなどひとつもないが。 「兄ぃって、浮いた噂聞きませんよね。いい人でもいるんすか?」 おそらく他意はないのだろう問いかけに、吉見は苦笑した。 「いい人はいないな……。古木、話が済んだんならさっさと出ていけよ。無駄口たたくほど暇なら仕事をやるぞ」 「いや、いえ、新田さんに報告に行きますんで。じゃ、失礼します!」 デスクワーク向きには見えない古木は、書類を押し付けられそうな雰囲気に気づいたらしい。あわてて出て行くそのさまに、吉見はくすりと笑った。吉見だってあんな要領の悪そうなのに仕事を押し付けたくはないから、口先だけの脅し文句なのだが、効果はてき面だった。 そのとき、狙い済ましたかのように内線のベルが鳴った。 「はい、吉見」 「ちょっと部屋まで来い」 事務所内でわざわざ内線を使う者は、結構限られている。それを知ってか知らずか、名乗りもしない呼び出しに、吉見はすぐ行きますと応えて電話を切った。伝票を適当に片付けて、重要なものは金庫に放り込み、部屋を出るときには鍵をかけていく。5年余りこの世界で暮らしてきてついた知恵だ。 組長の部屋は、実はすぐ近くにある。吉見の部屋を出て、いくつか事務机があるありきたりな事務室の中、10歩も移動すれば着く位置だ。 「吉見です」 ドアを3つノックして、返答はなかったが、吉見はそのまま部屋に入った。 組長である男は、大きな黒光りするデスクの上で頬杖をついて、入ってきた吉見を眺めていた。その、常よりは多少柔らかい視線で、仕事の話ではなさそうだと吉見は見当をつける。 「なんでしょう」 「忘年会に誘われたか?」 「はい? あの、あれ社長は誘ってないんですよね」 「ああ、俺は毎度ただの金づるだな」 「まあ、社長がいたんじゃ皆くつろげないでしょうしね」 「だな。それで、行くのか」 やっぱり気にしていたのか、と妙に納得しながらも、吉見は首を振った。 「職場の飲み会っていうのは、あまり性に合いませんから」 「それだけか?」 「外で飲むなと言ったのはあなたでしょう」 この男は何を言わせたいのかと、吉見は少々呆れ気味に言った。なぜだかわからないが、いつもより機嫌が良いような気がするのが不気味だ。 「酒の席だからといって絶対に飲まなきゃいけないってことはないだろう」 「飲まずに済ませられますか。本当に下戸ならともかく、多少飲めるのはバレてるんですから」 「ビールをグラス一杯飲んだくらいで真っ赤になる奴は、ほぼ下戸に等しいと思うがな」 「その下戸に、毎度アルコールを入れたがるのは何処のどなたでしょうか」 男との関係で、上下関係の覆ることは決してないけれど、むしろ昼間のほうが好き勝手なことを言える気楽さがあった。 夜の関係には、吉見の自由意思などほとんどない。男がすると言えば、吉見に否やはないのだ。ビールはあまり好きではないが、飲めと言われれば飲む。缶ビールの半分も消費せずに真っ赤になった吉見で遊ぶのがよほど受けたらしく、男に頻繁に飲まされているうちに、吉見の中でセックスとアルコールが結びついてしまったのも、不可抗力といえばそうだろう。 「素面のおまえは可愛くないからな」 「可愛くなくて結構です。それで、ご用件がそれだけなら、戻りますが」 「まあ、待て」 男は苦笑しながら、そっけない態度を取る吉見を引きとめた。 「これ、見ろ」 唐突に話が変わったらしく、突き出された紙を見下ろして吉見はしばし首をひねった。男はどうも、妙なところで言葉を惜しむ癖があって困る。どうやら建物の図面らしいそれをまじまじと見てから、わかったことを確認してみる。 「マンション、ですか」 「今度、新尾建設で建てる。ちょうどいい広さなんで、最上階を丸々もらう予定だ」 新尾といえば、英燐会の息のかかった中堅建設業者で、そこの若社長と男は昵懇にしているようだ。しかし新築マンションの融通までしてもらうとなると、いったいいくら積んだのか、それとも何か別口で話をつけたのか。 いつのまに。 そう思ったが、そんなことを聞き返しても仕方ないので、男が貰うと言った最上階を見てみる。といって、建築はまったく素人なので、何が分かるものでもない。 「引越しされるんですか?」 男は今、本宅のほかに2つ別宅を構えている。ひとつは事務所から歩いても1分とかからない場所に。もうひとつは都心の一等地に立つはやりの高層マンションの一室だ。頻繁に吉見が連れ込まれているのは、高層マンションのほうだが、主に寝起きしているのは事務所に近いほうのようだった。 「毎回、和敏の帰る帰らないって言い訳を聞くのも飽きたからな」 「?」 自分の家に帰らないと、替えのスーツやシャツに困るのだから、そんなことで苦情を言われても困るのだ。吉見は愛人業も仕事のうちだと割り切っているが、やくざ稼業に支障は出したくないと思っている。男だって、愛人として囲われるだけの吉見など求めていないだろう。 だいたい、それとこれと、どう関係があるのかと男の目を見ると、男はやけに楽しそうな顔で笑っていた。やはり機嫌が良すぎるようで不気味だが、それにしてもこんな悪戯小僧のような表情をするのは珍しい。 「ここ」 男が指差したのは、最上階のひとつ下の階。その一室のようだった。 「おまえがここに住む」 決定事項かよ! 漫才師のツッコミよろしく、そう頭の中で思ったが、さすがに口には出せずに吉見は目を丸くした。 「本気ですか」 「俺が冗談でこんなことを言うとでも?」 「思いませんが……」 喜んでみせるのもなんだか変だし、かといってあからさまに嫌な顔もできず、吉見が困って男の顔を見やると、男はぞんざいに手招きした。 「おまえは……」 机を回り込んで、椅子に座る男の隣に立つと、男は吉見の腰を引き寄せる。 「素直じゃないからな」 どういう意味かと首をかしげていると、さらにネクタイを引っ張られて、男の意図を察した吉見は少し屈んで男に顔を近づけた。 男は、吉見の耳元にささやいてよこした。 ことさらに、色気をにじませる低音で。 「オンナに家をやるのは基本じゃないか。そのほうが、いつでも好きなだけ抱いてやれるだろう?」 「………………要は、隠れて私を連れ込むのが面倒になったってことですよね」 男の言いようにあきれ果てながら、思うところを言い返してやると、男は、まあそうとも言うなと笑った。 ちなみに、男の用意したマンションは、最上階とその下の部屋と言いながら、実は内部に階段があって自由に行き来できるように作られていた、という事実を吉見が知ったのは、引っ越した後のことだった。 図面を見せただろう、とにやにやしながら言われ、吉見は「してやられた」と頭を抱えたのだった。 |
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