晴の報告。うちの家族と某H氏について。

 その日、俺と陽がいつものように連れ立って家に帰ると、ぱたぱたと玄関先までやってきて出迎えてくれる人がいた。(うちの両親は、よほどのことがない限り、そんなことはしない)
 足音がしたときからおおよそ見当はついていたけれど、現れた人影を見て、俺も陽も顔を輝かせた。
 少し長めの黒髪、すっきりした面長の顔。華奢な身体つき。やさしげに笑みを浮かべる目と口元とが、俺たちをほんわかした気分にさせる、そんな人。
「お帰り、晴、陽」
 テノールの声はちょっとハスキーで、ときに色っぽい。
「あ、ひーくんだ!」
「おっ、ひーくん、いらっしゃーい」
「はーい、勝手にお邪魔してます」
 多少、交錯した挨拶を交わして、うちの中へ入る。
 ひーくんこと、佐野飛来(ひらい)さんがうちにやってくるのは、たいてい唐突だ。うちの両親によると「弟みたいなもの」だという彼は合鍵を持っているから、誰もいないときにいつのまにか入っていて、夕食を作っていたりする。
 今日も、すでに首から母さんのエプロンを引っ掛けて、どうやら料理中だった模様。
「いつから来てたの? いるんだったら早めに帰ってきたのに」
「あ、でも一時間くらい前かな。ちょっと暇だったから、買出ししてきた」
「お土産は?」
「プリン買ってきたけど、食べる?」
『食べる!』
 ハモって応えると、そういうとこやっぱり双子だよね、とひーくんは笑った。
 でも、全然似てないんだけどね、俺と陽って。
「ちゃんと着替えて手洗ってきてよ。僕が知に怒られるんだから」
 冷蔵庫を開けながら、ひーくんが言う。台所にはすでに何かのいい匂いが漂っていて、俺たちはその香りを胸いっぱい吸い込んで嘆息する。
 幸福って、こんな感じだ。
「なんか、お母さんって感じだなー」
「なんだよ、それ。せめてお父さんにしてよね」
「だめ、お母さんであるところに意義があるの。な、晴」
 思っているとおりに、力いっぱい同意していいものだか迷って、俺はとりあえずあいまいに笑ってごまかした。日本人だからね、困ったら笑ってごまかせ!だ。
 ひーくんは確か今、三十五歳ぐらいなんだけど、全然そんな印象がない不思議な人だ。二十歳だと言われればそれで信じてしまうかもしれないくらい、若く見える。綺麗な顔立ちをしてるんだけど、きつくはなくて、むしろ穏やかな印象。いつもほんわかしてあったかそうな感じがする。
 背丈は今の陽とほぼ同じくらい。この間、
「陽、そこに立って!」
 とか険しい口調で言うから何かと思ったら、背比べをして、俺に「どっちが高い?」とか聞いてきた。
「すごい微妙だよ。えーっと、髪の毛立ってる分、陽のほうが高そうに見えるんだけど」
 って見えたとおりを答えたら、なんか機嫌悪そうにしてた。
 ひーくんに言わせると、
「オムツだって替えてあげた子がこんなに大きくなって!」(ていうか、なりやがって?)
 ってことらしい。それじゃまるっきり、親戚のおばちゃんだ。

 プリンを食べて、ひーくんの料理を手伝ったりしてるうちに、母さんが帰ってきた。
「ただいまー」
 って、玄関開けたときは普通だったんだけど、靴でひーくんが来てるのに気づいたらしい。
「ひーくん来てる?」
 俺が居間から顔を覗かせたら、すっごい理不尽なほど嬉しそうに聞きやがった。
 ……知母(ともはは、と、本人がいないところでたまに呼んでる)、息子とひーくんとで態度が違いすぎだ!
「知、お帰り〜」
 ダイニングに母さんが顔を見せると、ひーくんはかきまぜてたボウルをひとまず置いて、二人で熱いハグ。
 その後、キスまでしそうな――それもディープなヤツだ――勢いの母さんを放っておいて、さっとサラダのボウルに戻るひーくんは、なかなか「ツワモノ」だと俺は思う。
「なあ、晴?」
「うん?」
 声をかけられて振り向いたら、陽に捕まえられた。
「え、うわっ」

 …………えっとさあ、陽って、ときどき俺にちょっかいかけたいんだか、母さんとか父さんにツッコミ入れられたいんだか、わからないときがあるんだよね。
 抱き寄せられて、キスなんかされたら、俺が抵抗できないの知ってるから。
 陽の唇はやわらかくて、陽の吐息はすごく熱い。

「こら、バカ」
 ひーくんにつれなくされてどこかつまらなそうな母さんは、さっそく俺と陽を引き離して、ついでに陽の脳天に握りこぶしを落とす。
 ま、パターンだね。
 ひーくんがけらけら笑って。
「飛来、いつから来てたの? 知ってたら早く帰ってきたのに」
 母さんは、俺たちとおんなじようなことを訊く。
 ひーくんはやっぱり同じように、
「夕方だよ、四時半くらい」
 って答えて、料理に戻る。
「今、暇なの?」
「んー、まあ普通かな。どっちかっていうと息抜きだよ、ずっと部屋にこもってると頭沸騰してくるし」
 ひーくんは、俺たちが小学校低学年だった頃には、普通に会社に勤めてたと思うんだけど、今は専業の小説家になっている。小説は、俺たちにはちょっと難しすぎて、読んでても途中で放り出してしまうような感じなんだけど、結構人気があるらしい。
 母さんは、ひーくんの返答を言葉どおりには受け取らなかったらしくて、にっ、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「牧原、出張か何か?」
「うん、出張」
「やっぱりね。そんなことだろうと思った」
「悪かったね、わかりやすくって。知、あさりのチャウダーがコーンスープでも気にしないよね?」
「それはコーンスープの中にあさりが入ってるってこと? それともクラムチャウダーにコーンが入ってるってこと?」
「どっちかっていうと先のほう」
「ならそう言ってよ。ま、なんでもいいけど」
「やっぱり気にしないんじゃない。まあ、ここのうちの人って基本的になんでも食べるよね」
「野生動物なんじゃない。それに、雑食性。でも、どっちかっていうと君らが偏食すぎるんだと思うけど?」
「そうかなあ?」
 牧原さんというのは、ひーくんが同棲している恋人のこと。もちろん……って言うのもなんだけど……男の人で、父さんの大学の後輩だそうだ。
 家族ぐるみの付き合いって言うのかな、牧原さんも、よくうちにやってくる。ひーくんのように大歓迎されていないのは確かだけど。

 父さんは、少し遅く、俺たちが夕食を食べおわった頃に帰ってきた。
 帰ってくるなり、ひーくんが来てるのに気づいて、
「うわ、飛来。来るなら来るって言ってくれよ」
 とぼやく。
 みんな考えてることは一緒だ。
 俺と陽はひーくんのことが大好きだし、うちの親たちはまあ、なんていうか、病気だし。
「おかえりなさい」
 ってひーくんがリビングのソファから声をかけると、父さんは近寄っていってひーくんの髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「わっ、やめてよ、篤史」
「元気か?」
「うん、元気だよ、ってやめてってば!」
 何かと思ったら、頭を防御しようとあげたひーくんの手を取って、指にキスしてるし。ていうか舐めてるのか。
 ひーくんは赤くなってるけど、俺たちは今更こんなことじゃ驚かないから!
「もーぅ。そんなんだから、息子が両親の前でディープキスしてるような家庭になるんだよ」
「あ、してほしい?」
「しなくていい!」
 絶対本気でしそうなので、親がつっこむ前に自分で言って、俺は悪いことができないように陽の首を捕まえた。
「まあ、こんなおバカな息子に育った原因の一割くらいは、飛来にもあると思うけどねー」
「ないよ! 僕は陽と晴のお母さんじゃないんだからね」
「お父さんじゃないって保障はない気がするけど」
「ないよ! ありえないでしょ、中2のくせにこんなでかい僕の息子。第一、陽なんか年々篤史そっくりになってきてるし」
「やだー、こんな大人になりたくねー!」
「心配しなくても、十年後の陽は知と篤史をミックスした素敵な性格のいい男になってると思うけど?」
 素敵の意味が違うように聞こえるんだけど。
 それ以前に、まあ、いろいろとつっこみ所はあるんだけど。
「陽。俺、数学の宿題あるから上あがるよ」
「え、もう上行くの? 俺も行く」
 一緒に二階へあがり、二人の部屋に入ると、陽に背後から捕まえられた。
「あの人らにわざわざ気を遣うことなんてないのに」
「でも、ひーくんが急にうちに来るときって、大抵うちの親に相手して欲しいときでしょ? だいたい……っ」
 俺の身体を強引に自分のほうへ向け、陽が顔を近づけてきた。
 そして、俺たちはゆっくりとキスを繰り返す。
 言っとくけど、親の前でキスするのは、あくまで冗談なんだからな!
 いくら俺たちでも、恋人のキスは二人でするんだ。
 ……うちの両親はどうだかナゾだけど。
「人のいちゃいちゃしてるの見るより、二人でいるほうがいいだろ?」
「当然」
 互いに抱きしめあって、見つめあい、俺たちはもう一度唇を寄せ合った。


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