give me...


14

「人を馬鹿にすんのもいいかげんにしろ。俺はあんたのモノじゃない」
 あっけにとられたのが一瞬。次の瞬間には、突き刺さりそうなほどの視線で、遥は堀田真澄を見据えていた。
『南青山に帰してやるつもりはない』
 暴力も、理不尽な誘拐劇も、遥の怒りを誘うには不十分だった。けれど、この言葉には頭に血が上った。
「俺は、あそこに帰る」
 帰る家が、そこにあることは、遥にとってとてもとても大事なことなのだ。大事な大事な、ただひとつの家を奪われたら、あとに残るものなど。
「伊織が、私の意見に賛同しているとしたら、どうする」
 人を小馬鹿にしたような口調に、遥はさめた口調でやりかえした。
「嘘はもう少し本当らしく言え。あいつが、あんたに俺を預けるわけねえだろ」
 傲慢な人間には慣れているつもりだ。けれど、遥にとって、本当に許される傲慢は高岡のそれ以外にありえない。
 少々痛い目に遭うくらいならいい。慣れているから。殴られたって、さほど腹は立たない。妙なところが冷めていると、今まで何度も言われてきた。それでも、譲れない線はある。
 自分が高岡伊織のモノだということは、遥にとっていちばん譲れないラインだったから、他の人間に自分を切り売りすることはできなかった。
 目の前の、顔は似ていないのに面影の重なる男が、くっくっと笑う。
「私に攫われた時点で、おまえの運命は決まっている。おまえがどう思おうとな」
「俺をどうするつもりだ」
 硬く、身構えようと張り詰める身体の緊張を解こうと、遥は大きく息を吐き出す。そして、大げさな仕草で足を組んだ。
 ソファに身を沈め、腕を組む。
 ここは敵地だ。身構えたところで、この男から逃れられるとは思わなかった。だから、精一杯のポーズで、冷静を装って、ただ怒りをあらわにする。今この男に殴りかかって、相手にかすり傷を負わせたとしても、自分が大怪我を負うのが関の山だと、自分に言い聞かせて。
「自分の頭で考えな。どうせ、おまえに選択の自由はない」
「あっそ。ありがたいことで」
 遥が黙った瞬間を狙ったようにノックがあって、はっと振り返ると、吉見が顔を出した。
 銀縁の眼鏡に、整えて後ろに流した前髪。証券マンだ、となぜか金融系にこだわって、遥は吉見を観察する。 殴られたからといって、殴り返したいわけでもなく、むしろ人は見かけによらないもんだよなあと、純粋に感心していた。それに、そうして思考を切り替えることは、血が上った頭を静めるのに役に立った。
 遥の妙に熱心な視線に、吉見が困ったように少し苦笑した。そして堀田に向ける視線は、ひとりのやくざのもの。その変わり身の早さに、また感心した。
「社長、木塚が例の件で話がしたいと言ってきていますが」
「ああ、あれか。こっちに来てるのか」
「はい」
「出る」
 堀田は立ち上がると、遥の前をすり抜けて立ち止まった。
「私は、伊織をこの世界に引き込む気はない。ただ今回の厄介事に協力して、少々の借りを返してもらえればいいのさ。だが、有働は違う。おまえは、自分がどちらにつくべきか、考えるんだな」
 自分に従えと、暗に言い含めた言葉を残すと、あとはつられて立ち上がった遥に一瞥もくれず、部屋を出て行く。吉見が、堀田に続こうとしつつ、少し目を細めて遥を見た。
 置いていかれるのだと悟った遥は、ちらりと部屋を見渡す。
「ここ、脱走しやすそうに見えるけど」
「そうかい。なら、自分の目で見て確かめるといい。あと、部屋の中のものを壊したら、高岡さんに請求させてもらうから」
「それ、喜んで壊しますけど」
 正直に言うと、吉見はくすっと笑い、じゃあちょっと待っていてよと言い残してドアを閉めた。
 遥は、そのままぺたんとソファに座り込んで、頭を抱えた。


 絶対、今度会ったらふっかけてやると思った。ちょっとやそっとでは応えられない我侭を幾つ聞かせたら、この面倒事とチャラにできるだろう。
 高岡に会うことを考えて、それで少し頭を冷やして、遥は立ち上がった。せっかく捕まえた虜囚を置いていくからには、この部屋から逃げるのは無理なのだろう。けれど、確かめる前に諦めるわけにもいかない。
 立ち上がると、腹部に痛みが走って、遥は唇を噛んだ。多少、頭がくらくらするのは、気のせいだと自分に言い聞かせる。
 最初に近づいた、堀田が出て行ったほうの扉は、鍵がかかっていた。ノブをいじっていると、向こうから
「何をしている!」
 低いがなり声が扉の向こうから聞こえて、顔をしかめる。普通、部屋というのは鍵が閉まっていても内部から開けられるものだろうに、この部屋の扉はそうなっていなかった。まるで玄関の扉のように、鍵穴がこちらについているのだ。
「どういうことだよ。おかしいんじゃねえか」
 商談と見せかけて、ここへ誘い込んだ相手を閉じ込める? 何かおかしい気がしないでもないが、そうできる作りの応接室としか言いようがない。とはいえ、鍵などかけなくても、ここから出るのは無理だろう。見つからないで外まで出られるわけがない。
 もうひとつ、違う壁の側に扉があったので、そちらのノブにも手をかけてみたが、閉まっていた。
 花瓶に、アンティークランプ、絵画。値打ちものと思しき調度を横目に、いつ壊してやろうかと考えつつ、次には窓に近づいた。窓は壁の2面にあって、どうやらここは角部屋らしい。両方とも磨りガラスらしく、外の様子は窺えなかったが、開かないかと思った窓は、あっさりと開けられた。
「げっ」
 開けてみて、うめく。思いがけず、目の前に広がったのは、ひらけた風景だったのだ。目線が、なんとなく思い込んでいた2階か3階の高さではなく、しかも隣は背の低い民家ときている。その向こう側の、十数メートルは離れていようかというビルと見比べて、6階か7階と見当をつける。 法外な高さではないが、見下ろしたり見回したりしても、つるんとした外壁に掴まれそうな場所はなく、脱走に不向きな部屋であることは明らかだった。
 もう一方の窓は、道路側。叫べば、助けは呼べるかもしれない。やくざの事務所から叫んで、聞いてくれる人があればの話だが。
 遥はしばし、夕闇の迫る街並みを眺め、なんとかこの城塞から抜け出す方法はないかと思案していた。
 そして、しばらくして。ふと気づいてパンツのポケットを探ると、なぜか携帯がそのまま入っていた。
「叫ばなくても呼べるんじゃん」
 高岡に電話してやろうかと思ったが、やめた。このシチュエーションでも、高岡に電話するには勇気が要ったし、何よりなんで捕まるんだとか本心でなくても言われたら、本気で凹みそうだった。堀田真澄にはああ言ったが、高岡がこのことをまるっきり知らないという確証は何もない。
「警察にはチクらないと、そういうご判断なわけね」
 もし自分が助けを求めて携帯を使ったとしても、高岡以外に助けに入れる人間はいないと見なしているわけだ。でなければ、連絡手段を残しておくのはあまりにも不自然。ひょっとして、と思って部屋を見回してみたが、遥の鞄は見当たらなくて、彼が無造作にその中に放り込んでいた財布も当然見当たらなかった。
「あそこに落としたままとかいうオチはないだろうな」
 十分ありうると思ったが、よく考えてみれば、卵が割れたのを気にしていた吉見が鞄を拾わないはずもないだろう。
「もう、わけわかんねえよ」
 自分を奮い立たせるように、故意にぶつぶつとつぶやきながら、遥は室内をうろうろと歩き回った。


 さほど待たされたわけではなかった。おそらく、30分ほどだろう。
 扉が開いて、現れたのは堀田真澄でも吉見でもない人物だった。
「若がお呼びだ。手錠つけるぜ」
 声で、さっきからずっと扉の向こうに立っていた男だとわかった。がたいばかりが大きく、高校球児かと疑う坊主頭に、球児ではありえない髭面のこわもて。ああやくざだと、遥は変なところで納得した。
 男の手の中にある手錠に、顔をしかめずにはいられなかったが、抵抗はしない。ここが6階だか7階だと知ってしまったら、些細な抵抗を起こす気など失せるというものだ。 ただ、携帯はポケットから取り出してソファの上に放り出した。またこの部屋に戻される保証は何もなかったが、今から自分の身に起きるだろうことを考えて、ここのほうがマシだと思ったのだ。
 何をされるかなど、深く考えるまでもないことだ。遥は、堀田真澄が「脅したい相手」、高岡伊織の愛人なのだから。
「若って言うのか」
 抵抗するかわりに、そして自分を落ち着けるために、自分を後ろ手に拘束する男に訊ねてみたが、答えはない。
「ここ、あの人の事務所?」
「どこだっていいだろう。どうせ、逃げられやしねえんだからよ。そうやってヘラヘラしてられんのも今のうちだぜ、ボウズ」
 坊主はあんただろうと心中でつぶやき、遥はおとなしくついてこいという男に従った。

 エレベーターに乗せられて、男が押したボタンにはB2と書かれていた。
 なるほど、兄貴の方がビル持ちという時点で勝っているなと、かたぎの商売とやくざとを意味なく比較して、遥はじっと上のほうを睨んでいた。階数を表示する部分のランプが左へ――下の階へと移っていく様子を。
 少し古いんじゃないかと思わせるエレベーターがゆっくりと行き着いた先は、明らかに真新しい雰囲気の場所だった。クリーム色の壁やらつるつるした感じのベージュ色の床やら、何度か入った大学の研究棟によく似ている気がする。 もっとも、学校のような広々した感じはなく、目の前の廊下はすぐに途切れていた。
 男が、声をかけてからドアを開けたのは、つきあたりの部屋。

 その室内の様子をまのあたりにして、遥はただ一つ、ため息をついた。

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