living on the edge



1.



 毎日が、何気なく過ぎていくなって思っていた。
 つまらないことばっかりで、すべてが無味無臭って感じ。
 自分を取り巻くあらゆる事柄に、俺は失望していたのかもしれない。
 あの夏の日、彼が現れたときまで。




 日課。
 高校の授業が終わったら、六時ごろまで教室や図書室で自習。そこは、どんなに荒んだ生活をしていようと、大学へ行く気だけは満々だった俺にとって、はずせないポイントだった。ただしあんまり睡眠不足だと、昼寝にあてることも多々あったけれど。
 それから、ぶらぶら街へ出る。
 うちの学校は結構名の知れた進学校だったから、制服のままぶらつくのはいろいろ問題があって、大概着替えをどこかに用意していた。もともと服に金をかけたことなんてあんまりなくって、俺の着てたのはいつも適当な服。周囲の奴らには、男のくせにケバいのもいたけれど。
 七時ごろには、あちこちから集まってきた顔見知りの奴らとつるんで、ぶらぶらしはじめている。特にすることなんて何もない。
 あ、でも、喧嘩は日課のうち。誰が言い出したのか知らないけど、俺には不敗神話まで付いて回ってたらしい。まあ、逃げるが勝ちとも言うから。そういう立ち回りの上手さには自信があった。強さじゃなくて。ガタイが足りない分、頭で勝負してた。
 犯罪行為にも、それなりに手を染めてた。俺がつるんでいたのはそういう奴らだった。チーマーっていうかね。やってることは、カツアゲとか、気に食わない奴らをボコったりとか。
 ヤバイことをしているって自覚は、仲間内でもある奴とない奴の差が激しくって、たとえば図体がでかくて、ともするとドン臭そうに見える小野なんかは、いつも警察には気をつけているタイプだった。172cmで身長が止まってしまった俺とは、見た目ではまるで違うけれど、考えていることはよく似てた。
 薬は絶対やらないところとか。仲間とつるんでるくせに、結局一人冷めてるところとか。売られた喧嘩は絶対に買うが、自分からはめったに喧嘩を売らないってところも、俺と彼との共通点だった。
 それに比べて、俺たちの仲間内でもキレてる奴が椎名だった。彼にはヤバイって観念がないらしかった。やくざを気取ってるのか、自分だけ特別だとでも思っているのか、もしかすると本当に特別なのかもしれないが……彼はドラッグの売人みたいな真似を仲間にさせていた。シャブの回し打ちなんてさ、ヤバイことくらいいまどき誰だって知ってそうなのに、奴は平気でラリってる奴らにそういうことをさせた。レイプなんて、彼にとってはなんてことのない娯楽のひとつだったのも知っている。カツアゲにオヤジ狩り、そういった種類の「遊び」なんか、日常茶飯事だ。
 俺が、そういう奴らとつるむようになったのには、たいした理由なんてなかった。俺に喧嘩のテクニックだと称して武道を教えた奴が、小野とも知り合いだったのが直接の理由だけれど、それだけじゃ仲間になんかならなかっただろう。
 流れ、だったと思う。
 気がついたら、周囲に鬱陶しいほど知り合いがいた。
 そうだ。鬱陶しいと、いつも思っていた。小野はどうか知らないが、俺は何回逮捕されても仕方ないようなこともいろいろしながら、自責の念に駆られることがよくあった。ほかに行く場所があったなら、絶対そちらへ向かっていただろう。
 でも、俺の行き場は、夜の街の仲間たちのもと以外、どこにもなかったんだ。



 家族はもう随分前に、俺の行動には愛想を尽かしてしまっていて、朝帰りしようが何してようが、文句を言われた記憶はほとんどない。
 第一、俺はあいつらを家族だとも思ってはいなかった。
 親父が継母と結婚したのは、俺が物心つくかつかないかの頃。4歳になったかどうかの時だったはずだ。そしてそれは、俺と俺の姉を産んだ母親が死んでたった3ヶ月後のことだった。
 親父と継母の間には、なぜだか俺と一歳しか年の変わらない弟がおり、それが親父のしでかしてきたことを厳然と示している。結婚の翌年には妹も生まれ、微妙な家族は微妙な空気を保ったまま年月を過ごしてきた。
 4つ年上だった姉貴が死んだのは、俺が中一のときで。
 そうして俺は、家族の中に行き場を失った。
 自分の行いを家族の所為にするのは、卑怯なのかもしれない。結局は、自分の意志でこういう方向へ向かったんだから。けど、俺が家に帰れなかった原因の半分は、間違いなく両親にあるはずだ。彼らは、俺の居場所を作ろうと努めたことさえなかったんだから。
 宇山に出会ったのは、中二の春だった。今だってでかくはないが、当時の俺は小学生と間違われても文句をいえないようなガキで、ついでに女に間違われるのにも慣れきっていた。本当に、危ない目に遭ったことないのが不思議なほど、可愛らしいお子様だったんだよ。自分で言うのもなんだけど。
 宇山は、変わった男だった。柔道と空手と合気道と、それから諸々の格闘技をかじってきたという、当時22歳。胡散臭い上にむさくるしい男だったけれど、突っぱねて不良ぶっている馬鹿なお子様にとっては、神様のようにさえ見えた。本当に、カッコよかった。
 ほんのはずみで奴に拾われて、俺は護身術と「宇山流」喧嘩術を習った。身体の鍛え方なんてものも教わって、一時期本当に実践していたのが笑える。奴のところで出会った小野なんかは俺とは比べ物にならないほどの宇山ファンで、いつしか「二世?」って感じにまでなっていた。
 宇山のおかげで、俺も小野も、喧嘩だけじゃなく、いろいろなことを覚えた。悪いことも含めてだけどね。奴は自称モラリストで、そういうとこ、俺や小野は妙に影響を受けたけれど、奴のモラルに他人に暴力を振るうなって項目はなかったし、法律を守れって項目もなかったんだ。
 あの頃は、本当に楽しかったような気もする。宇山とつるむのは面白かった。
 けれど、それは結局それほど長く続かなかった。俺が高校に上がったころ、奴が消えたからだ。いろいろな憶測は飛んだけど、当時は誰も、奴の消えた理由を知らなかった。俺たちは仕方なく、自分たちで動き出した。
 宇山の取り巻きだった連中と、その他の連中が集まっていつの間にか出来上がったグループは、当初はささやかで大して意味もない集まりにすぎなかった。方向性ができだしたのは椎名が頭角をあらわしてから、だと思う。奴は、そういう意味でリーダーシップというのに恵まれていたから。
 三大巨頭などと、ちょっと気の利く馬鹿は言っていたけれど、小野はともかく、俺はあのグループで何かをしでかした覚えはまるでない。ただ、何かと派手にやりたがる椎名と、椎名を毛嫌いする小野の間でやりたくもない仲介役みたいなのをやっているうちに、いつのまにかまつりあげられていただけで。
 気がついたら、百人はメンツがいると思われるそのでかいグループは、長江遥のもんだということになっていた。椎名も小野も、なぜだか二歳以上下の俺を立てた。そうするのがいちばんおさまりがいいからだと、椎名は言っていたけれど、ついに俺自身はその意味を理解できなかった。
 俺にとって、あの集まりは本当に、どうでもいいことだったから。



「ヤバイらしい」ことを知ったのは、高3の7月。期末テスト直前だった。
 もちろん、俺はテスト前だからといって街に出るのをやめたりはしなかった。家にいないためには、そうするしかなかったから、いつもどおりに遊びに出て適当に好きなことをやっていた。多くの人間とたむろすることの利点は、ひとりじゃないことをいつでも確認できることだと思う。俺の周りにはいつも幾人もの仲間がいた。
「なんかなぁ、椎名、覚醒剤の取引でやくざに睨まれてるらしいんだ」
 それを聞いたとき俺が思ったのは、それみたことか、ってだけだった。
「止めてやれよ。おまえしか、椎名に言うこと聞かせられるような奴、いねえんだから」
 親切面で誰かが言ったけれど、それは間違いだった。俺は椎名に言うことを聞かせたことなんて一度もなかった。奴は馬鹿だけど頭がいいから、自分の立場くらいわかっているはずだとも思った。
「あいつ、どこかの組の奴と取引してるらしいぜ」
 険しい顔で小野が言っていた。小野も俺と似たようなことを思っていたのだろう。心配はしても、所詮他人事。そんなところだ。
 けれど、それは甘かった。
 日に日に、事態はマズイ方向へ進んでいった。暴力団同士の睨みあいのとばっちりを受けてしまったらしいと、どこかから情報が入った。椎名は彼らしくもない渋い顔で、浦安組のなんとかって奴を罵っていた。
 これは、ほとぼりが冷めるまでしばらく動かないほうがいいかなと、俺が言い出したのは、期末テストの最中。やくざにいいように踊らされるのはごめんだというのが、自称モラリスト宇山の影響を受けてきた俺や小野の気持ちだった。
 椎名と近いグループを無視して、俺と小野は、連絡できるだけの奴らに厄介を避けたきゃしばらく行動を控えるようにメールをまわしたんだけど。
 すべては、少し遅かった。
 グループがその後どうなったかについて、詳しいことは知らない。頭を失って、自然崩壊したことだけは確かなんだけど。
 俺には、その過程を見守ることはできなかった。
 厄介事が起こりそうだと警戒のメールをまわした翌日、期末テストの最終日を終えて、今日はいったいどこへ行けばいいんだろうと思いながら歩いていた俺は、唐突に目の前に現れたチンピラ風の男たちの手で車の中に押し込められ、拉致されてしまったのだから。


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