living on the edge



2.


 夏の日が長いとはいえ、もう7時を過ぎていた。
 薄暗がりの中、あまり人通りの多くない繁華街の裏道で、チンピラ風の若いのに絡まれているらしい少年がひとり。
 そんな光景を目にして、眉をひそめる人間はいたとしても、すぐさま警察に通報しようとか、声をかけて争いを鎮めようとか考える人はなかなかいないだろう。
 へたをすれば、自分に危害が及びかねないのだから。
「なんか用?」
 いきなり現れた5人の「お客さん」に、俺は尖った声を出したけれど、そのときはまだ、そんなに危機感をもっていなかった。自分の逃げ足に自信があったからだ。
 けれど、俺の背後に黒のワンボックスカーがすべるように走りこんできたとき、すぐに頭の中に赤い信号が灯った。
 にやにやとした、人を見下したような相手の表情が、不快感を煽る。
 俺は、迷うことなく右へと踏み出し、そこで俺を囲む壁のひとつとなっていた黄色いシャツの男に飛び掛っていった。
「うぉっ」
「逃がすな!」
 そいつを突き倒し、次の一歩を踏み出そうとするところで、横合いから腕が突き出されてくる。
 そのままいったら腹に直撃だとわかって、すいと左に避けたけれど、次の瞬間、鋭い衝撃が背中と足とを打ち抜き、俺はバランスを崩して地面に倒れた。
「くそっ、何の……!」
 叫ぼうとした俺の口は、タオルで無理やり覆われ、それでも逃げようともがく俺の身体を、大の男が数人かけて車の中に放り込む。
 ドアが閉まるか閉まらないかくらいのタイミングで、車が走り出した。
 あがく暇さえない。中にいた誰かと、外から乗り込んできた数人の手で、後ろ手に手錠をかけられ、足には乱暴にロープがかけられ、タオルの猿ぐつわもしっかりと補強された。もはや逃げようもなく、むなしく睨み上げる相手の顔に、まるで見覚えはなかった。
「悪ぃな、上の命令でさあ。まったく、近頃の高校生は本職より危険でいけねえよ」
 街中で堂々と拉致を敢行するような奴らに言われたくないと思ったけれど、当然口答えができるはずもなく、俺は目を伏せた。
 近くに転がしてあった、黒いかたまりがピストルの形をしているのに気づいて、一瞬本気で驚いたけれど、よく見ればそれはプラスチック製のもので。さっき俺は、そのエアガンに撃たれてコケたらしいと、なんだか情けないような気分になりながら考えた。
 何が起こったのかさっぱりわからなかったけれど、俺自身がやくざに睨まれる立場だったことだけは、ぼんやりと理解せざるを得なかった。


 車の後部の荷台で、横たわったまま外を見ることもできない状態では、どこを走っているのか見当をつけることもできなかった。もっとも、たとえわかったとして、どうなったわけでもないだろう。
 車には、俺のほかに5人いた。少し年かさらしい運転手に、助手席にはチンピラっぽいヤツ。俺を襲ってきたうちの1人だったかもしれない。うしろの座席に、さっき車内で待ち受けていて俺を縛り上げた男。チンピラたちや運転席の男の態度から、そいつがいちばん格上だと知る。あとは、荷台で俺を見張るように座っているチンピラが2人だ。
 大げさな、と俺は考えた。
 考えることしか、何も出来なかったから。
 たかが高校生ひとりにかける手間とは思えなかった。ただのチンピラの喧嘩なら、吹っ掛けられて当然のおぼえがいくつかあったけれど、彼らは本物のやくざだ。
 思い当たることといえば、例の椎名絡みのトラブルしかなかった。もしかして、人違いだったら嫌だなあと思ったけれど、よく考えてみれば椎名は高校生じゃない。さっき「近頃の高校生は」と言われたからには、こいつらは俺が高校生だと知っているわけだ。……いや、高校生にしか見えなかっただけかもしれないけど。
 パニックを起こしてもいいくらいの出来事だったけれど、俺は妙に冷静な気分で横になり、車の振動に身を任せていた。打った場所とか、乱暴に縛られた身体とか、痛みはあるけれど、ひどくない。俺を無事確保した奴らは、安心したのか凄んでくることさえない。
 はっきりいって、退屈だった。口をふさがれているから、わめくことも質問することもできないし。
 車の揺れが横になった身体にじかに伝わってきて、はじめは不快だったのに、だんだん心地よくなってくる。
 その頃、慢性的に寝不足状態だった俺は、このシチュエーションにあるまじきことだけれど、うとうとと居眠りを始めていた。


「兄貴〜、こいつ寝てやがるんですけど」
「……叩き起こしゃあいいだろう。すぐに奥に繋いでおけよ。俺は真柴さんを呼んでくる」
 声を聞いているうちに、自然と目がさめた。無意識に目をこすろうとして、縛られていることに気づく。舌打ちしようにも、猿ぐつわにされたタオルが邪魔で無理だった。
「ほれ、ついたぜ」
 誰かが俺にそう告げ、乱暴に肩のあたりを掴んで、俺を車内から引きずり出した。あちこち打って痛かったから、相手を睨み上げると、そいつはにやりと笑った。
「ま、呑気に睨んでられるのも今のうちだよなぁ」
 そこは、使われていない町工場のように見えた。すすけたような、空気の悪い場所に、車ごと乗り入れていたのだ。その場所の不気味さに、俺は心臓が嫌な跳ね方をするのを感じた。
 こんなところで助けを呼んでも、誰も出てこないだろうことは容易に想像できる。
 足のロープを解けばいいのに、ご丁寧にもぐるぐる巻きにされたままの俺を、チンピラ2人が担ぎ上げた。暴れる気にもなれず、不安定な体勢をいまいましく思いながらも、俺はおとなしく運ばれた。
「ふはっ、ここでいいか」
 どすっと、容赦なく固い床の上に落とされた所は、工場の奥の部屋だ。そこだけ、なぜか真新しいペットボトルや、埃をかぶっていない誰かの上着なんかが無造作に置いてあって、彼らが頻繁にここを活用しているのだとわかった。
 周囲の男たちが立っているのに、自分は床に転がったままというのは、結構不快な状況だ。何しろ、靴が目の前に見える。だから、起き上がれないものかと身体をよじったのだが、たいして努力もしないうちに足でこづいて阻止された。
「おとなしくしてろ、ばぁか」
 馬鹿はてめえだ、と思いながら、仕方なく俺は真柴を待つことになった。
 真柴は、たいして俺を待たせはしなかったけれど。

 現れた男は、中背の頑丈そうな体格をしていて、さほど年は食っていないはずなのだがおっさんくさい顔の持ち主だった。その年で組の実働部隊を任されている武闘派だけあって、そのへんのチンピラとは雰囲気が違う。
 顔見知り、というほどではないが、俺は真柴のことを知っていた。
 仲間内で結構出入りのあったクラブが、彼の属する浦安組絡みの場所だったし、俺のうろついていた近辺に彼のシマといえる場所があったからだ。
「いいざまだな」
「なんで椎名でなくって俺なわけ?」
 口のタオルが取られたとき、俺は単純に思ったことを訊ねた。彼が、俺はともかくとして、椎名の顔を知らないはずはないと思ったからだ。真柴はふふんと鼻で笑っただけだった。
「あんた、とりあえず誰でもいいとか言わねえだろうな。俺と椎名は、ただの顔見知りだ。奴らのやったことに、俺は何っっにも関わり合いはないんだよ!」
 言わずに後悔するのは嫌だったから、俺は結構真剣に訴えた。
 まわりを体格のいい大人数人に囲まれて、身の危険を感じるなというのが無理だ。いっそ殺すなら殺しやがれと、どこか思わないでもなかったけれど、椎名のおかげでこんな目に遭っているのだとしたら、絶対死にたくないとも思った。思考はわりと頭の中で空回りしていて、「俺ってばテンパってるなあ」とか、どうでもいいことを考えていた。
「てめぇは、シラをきりとおせるとでも思ってんのか? 可愛い顔してヤクザ騙そうったってそうはいかねえんだよ」
 けれど、真柴から返ってきたのはそんな発言だった。
 そして、表情だけは冷ややかな笑みを保ちつつも、苛立ちの混じった目で見下ろされ、靴先で喉元を突かれる。
「てめえのおかげで、こっちは大損だ。本職相手に好き放題やってくれてよー」
「知るかよ、何の話だ……俺は」
「うるせえ!」
 がすっ、と腹を蹴られ、俺は咳き込んで不自由な身体を丸めた。
「落とし前は、きっちりつけさせてもらおうってことだ。覚悟しろよ」
 真柴は俺の髪を掴んで、身体を引っ張り上げると、そう言ってヤニ臭い唾を俺に吐きかけた。
 そして、突き放すようにまた俺の身体を転がす。
 それが、暴行の始まる合図だった。


back top next
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送