living on the edge



23.


 誰かの訪問を告げるチャイムが鳴ったのは昼前で、俺は監禁部屋で英語の問題集を眺めていた。
 それまで俺は、まだこの家から出ずにいた上に、現実逃避モードに入っていたってわけだ。
 これからどうするのか、ってこととは関係なく、外には出たかった。一週間もずっと家の中で過ごしてりゃ、たとえうだるような暑さの中だと分かっていても、外に出たくなるってもんだ。
 でも、いったん外に出たら、戻ってくることは不可能だ。このマンションがオートロックじゃないとは思えないからな。高岡が帰ってくるのを見計らって外で待ち受けるって手もあるかもしれないけど、そんな不審者な上に恥ずかしい真似がしたいわけじゃない。
 高岡だって、俺に外出のチャンスをやるつもりなら、鍵くらい置いていったはずだ。だから、これは二択問題だった。ここにいるか、いないか。高岡を受け入れるか否か。
「イエス」の答えが出したいわけじゃない。でも高岡に「ノー」を突きつけて出て行ったとして、この一週間分の繋がりがすべて断たれたあとに、俺自身がどうしたいのか、どうやって生活していけばいいのか分からなかった。
 そうやって、嫌味な男から出された嫌味な二択問題の答えが出せないままうじうじしているところに、インターホンの来客を告げる音が鳴り響いたわけだ。
「なんだ?誰か来た?」
 この家にいて一週間、この音を聞くのははじめてだ。それでインターホンの場所をまず探し歩いて、それはすぐに見つかったけど、だからって応対するのはどうなのよ、って腕組んで迷ってたら、そのうち人が勝手に入ってきた。
「こんにちは、お邪魔します。長江くん、いないのかな?」
 若い男の声がして、俺はリビングで固まったまま、彼が入ってくるのを待った。
「いないのかなあ……あ、いた」
「あ」
 きょろきょろと首を振りながら現れた男は、俺を見つけて目を丸くし、にこりと微笑んだ。
「長江くん、だよね」
「はあ」
「僕は納谷です。納豆の納に谷で“なや”」
「はあ」
 彼は高岡ほどではないけどひょろりと背が高くて、温和そうな雰囲気だった。スーツ姿で、手には買い物袋を提げている。
 俺は面食らって、上から下まで相手を見るしかなかった。一応、ヤクザっぽいところはない。
「僕は伊織の仕事上のパートナーでね。ああ、合法的な仕事のほうだよ、言っておくけど……。それで、プライベートでもそこそこ仲はいいんだけど、どうもあの男は周囲の人間をいいように使う癖があってね。今日は、君の様子が気になるから食べ物を差し入れてくれっていう伊織の我がままで、ここに来たってわけだ」
 フレンドリーに説明されたところで警戒心は湧きまくりだったけど、どうでもいいかと思い直した。ヤクザならこんな回りくどいことしないだろうし、高岡の差し金にいまさら警戒したって仕方がない。
「……納谷さんは、高岡に俺のことをなんて聞いて来たんですか」
「何って。ヤクザに捕まってたところを強奪して監禁してるって」
 温厚そうな顔でごく普通のことのように言われて、俺は類は友を呼ぶってこのことかと呆れた。
「……合法的な仕事のパートナーがそれでいいわけ?」
「まあしょっ引かれなければいいんじゃない?」
 納谷さんは誠実そうな、とても常識人らしい印象の人なんだけど、高岡の右腕として付き合っていけるだけあって、少々のことでは動じたりしない。
 無論、初対面の俺にそんなことが分かるはずもなく、かなり怪訝な表情をしていたんだろう。持ってきた荷物をダイニングテーブルの上に置きながら納谷さんは笑った。
「少なくとも、君はいま監禁されてるわけじゃないみたいだし。さすがの僕も、現在進行形で監禁されてたらちょっとね。対処法を考えるよ」
「通報するとかじゃないんだ」
「会社潰れたら困るしねえ。いや、本当に警察沙汰にしたほうがいいなら、通報くらいするよ、勿論。どうだい?」
「してほしくないって分かってて言ってるんでしょ」
「今こうして、僕と話しをしてるってこと自体が答えかな、と思っただけだよ。そうじゃないかい?」
 俺は黙って、リビングのソファに座った。
 図星だったけれど、面と向かって言われると気に障った。そんな簡単に答えが出るようなことなら、こうやって悶々と悩んだり、悩むのも嫌で現実逃避したりしていない。
 納谷さんはそれ以上俺を追いつめたりはせずに、買い物袋の中身をテーブルの上に広げはじめた。
「1万円預かったんで、奮発してお寿司買って来たよ。味噌汁はインスタントだけどね。残念ながら伊織と違って僕には料理のセンスがないんだ。あと僕は今しかいられないから、君の今日の夜と明日の朝昼用にもいろいろ。18歳なら食べ盛りだろう。30にもなるとなかなか、10代の頃ほどは食べれないからさ、どのくらい買おうか迷っていろいろ買い込んでしまったよ」
「30歳?」
「ん? ああ、そうだよ。伊織より2歳年上だ」
「ふうん。高岡より若いのかと思った」
「よく言われるよ。彼に初めて会ったのは僕が21歳の時だけど、そのときからふてぶてしい男でね。僕もまさか年下とは思わなかった。味噌汁、どっちがいい?」
 納谷さんは向かい合う椅子のところに寿司折りを1つずつ置いてから、インスタント味噌汁のカップを2つ手にとって俺に見せた。
「わかめ」
「じゃ、自分で開けて。ポットはあるのかな?」
「あったと思うけど、お湯入ってるかな」
 確認に行ったら、お湯は入ってなかった。考えてみたら、高岡はお茶をいれるときやかんでお湯を沸かしていたし、コーヒーはドリップしたのしか飲んでなかったし、ポットは置いてあるだけで使ってなかったかもしれない。
「ここって、借り物なんですよね。ポットとか食器とかも全部置いてあったものなのかな。……これって、どこ押したらいいんだろ?」
 やかんはIHヒーターの上に乗っかっていたからとりあえず水を入れたんだけど、どのスイッチを押したらいいのか悩む。今日は人生初体験ばっかりだ。
「うん? 使ったことないの? たぶんここじゃないかな……」
 寄ってきた納谷さんが適当にボタンを押すと、加熱が始まったらしい。納得して、二人でダイニングテーブルの前に戻る。寿司折り以外の食料をどけないと。というか、これ俺一人分なのか?
「僕もここは初めて来たけど、どうかな。あまり伊織の趣味らしい感じではないかな」
 俺が納谷さんの買出しに疑問を抱いてたら、もうひとつ前の疑問に、律儀に答えが返ってきた。
「趣味……」
 ここはどの部屋もすっきり片付いていて、モデルルームのようにシックな家具が整然と配置されている。そういうのが趣味じゃないとしたら、どういうのが趣味だろう。
「せっかく僕が来ているんだし、伊織について聞きたいことがあるなら言ってみなよ」
「はあ」
 そういわれて、聞けるようなもんでもないだろう。
「たいして話をしたわけじゃないんだろう? 仕事のこととかは?」
「それは、ちょくちょく。経営コンサルティングでどうとか、投資がどうとか」
「興味ない?」
「いや、そうでもないですけど」
 高岡がしてくれる仕事関係の話は面白かった。顧客の、変わったことをしている会社の話。とある会社がやっている節税対策の話。難しい言葉は使わずに高校生の俺にも分かるように話してくれるし、何より、高岡自身が仕事を楽しんでるのが伝わって、いいな、と感じた。
「じゃあ、伊織の性格とか、そうだな、弱点は?」
「弱点!?」
 あれに弱点があるとは。いや、なくちゃおかしいが、ありそうには。
 思わず聞き返したら、納谷さんは困ったように苦笑した。
「ありゃ、食いついたね。弱点か、そうだね」
「考えてなかったのかよ」
「いやいや。弱点っていうほどでもないけど、あれでムキになりやすい性格だから、こっちが冷静でいるとわりと口喧嘩には弱い気がするな。あと、遥君には弱いね、間違いなく」
「はあ?」
 それはいま関係ないのでは。思わず声を吊り上げてしまったら、何を思い出したのか納谷さんはくすくす笑いだした。
「信憑性ないかもしれないけど、本当に遥君のことが気にかかって仕方ないみたいだよ。面と向かって我儘言ってごらんよ。きっとホイホイ従ってくれるって」
「ええー」
 でも、ここから出せとか突っ込むのやめろとかは全然聞いてくれないんですが。
 さすがにそれは言えないけどな、初対面の人相手にさ。
 高岡が俺にどういうことしてるか、気づいてないわけでもなさそうな気はしたけど。でもさすがにさあ。
「明日、彼が帰ってきたら試してごらんよ」
 しっかり高岡のことを売り込んで、納谷さんはにっこり笑った。


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