give me...


17

 宇山から2つほど場所をあげられて、窓から見える街の様子から、一方の事務所でまず間違いないだろうと結論付けた。
「ほらさあ、特殊部隊とかレスキュー隊みたいに、するするーっと降りればどうかと」
『おまえなあ。簡単に言うなよ。それで、本当に大丈夫なんだろうな。俺は巻き込まれる気はないぞ』
「うーん。窓開けても誰もこないし、携帯は放り出しといたらそのまま置いてあったし、しゃべってても誰も出てこないし……それにさあ、思うに、俺が今からいなくなったところで、あちらさんはそんなに困らないんだよな」
『そういう問題か?』
「そういう問題だって。だからさ、うまい方法考えてくれよ」
『まったく、偉そうに! 今じゃちょっと時間が早いからな……12時頃に行く。その辺なら、その時間帯で十分暗いだろう。12時前になったら、一度こちらから電話するからな』
「了解。期待して待ってるよーん」
『馬鹿か』
「ひでえ」
 結構怒っているらしい投げ出すような言葉とともに、通話がぶちっと途切れて、遥は苦笑した。
 宇山は、もともと面倒見のいい性質だし、わりと厄介事を厄介だと認識せずにこなせてしまう男でもある。けれど、こうやって、無茶で自己中心的な願いを聞き届けてくれるのは、ひとつには彼が遥に負い目を感じているせいもあるのだろう。
「馬鹿だよなー」
 遥はつぶやく。自分が馬鹿なのは今更だけれど、宇山だってあまり人のことは言えないと思う。
 大学を出てすぐ、宇山はそれまで棲家にしていた夜の街を捨て、遥や、ほかの少年たちの前から姿を消した。彼にもいろいろあったのだろうと、今でこそ遥も納得しているが、当時は大切にしていたものを唐突に捨てられたような、悲しい思いをさせられた。本当に、それは突然の出来事だったのだ。
 宇山のそばにいた中学時代と、彼がいなくなってからの高校時代とでは、遥の生活は大いに違っていた。世間から見ればどちらも荒んだものに見えたかもしれないが、中学生だった頃、格闘技の真似事やくだらないゲームで盛り上がっていた同じ時間に、高校生の遥がしていたことといえば、喧嘩ばかりだ。仲間の質は落ち、挙句椎名のような男と同じグループになって、ずいぶん危ない目にも遭った。
 宇山は遥の保護者ではないのだから、そういったことに責任を感じる必要はないと思う。けれど、負い目で面倒を見てもらえるなら、いくらでも見てもらいたいというのが、遥の今の心境だった。
 何より、彼以上に頼りになる人間など、そうそういるものではない。
 テーブルの上に置いてあったペットボトルのお茶を飲んで、遥は携帯のアラームを23時にセットした。
 宇山がどういう手を考えてくれるか、本当に逃げ出せるのか、見通しはまったく立っていないのに、遥は逃げ出したあとのことに思いをはせながら目を閉じた。


 携帯がぶるぶると震えて着信を報せたとき、遥は相変わらずソファに座って、ぼんやりとしていた。浅い眠りはあまりいい夢を見せてはくれず、しかもようやく眠りに落ちたかと思ったときにたたき起こされた。遥の閉じ込められている部屋にトイレはなく、用を足すなら今にしろという、なんとも理不尽な命令で、仕方なくトイレに行ってまた戻ってきたのだが……どうやら堀田は、遥をここへ長く留める気はないようだ。 あるいは、待っていれば誰ぞの迎えがあるということだろうか。昼間しでかしたことを思い起こして、ここで高岡に会うのだけは嫌だと、遥はちょっとブルーになった。
「絶対、あいつが現れる前に逃げてやる」
 つぶやく彼は、思い切り逃走目的を間違っているのだが、気にしていないのだか、気づいていないのだか。
 ゆっくりと取り上げた携帯の通話ボタンを押すと、
「待ちくたびれた」
 そう、横柄に言ってやる。
『わがまま小僧が。無事か』
 のんびりとした、それでいてとても気遣わしげな問いかけが伝わってきて、遥は苦笑した。
「心配性だなあ。なんもされてないって」
『殴られて拉致られたんだろうが、ボケ』
「そんな、すごんで言うことじゃないだろー。で、どうなのよ。なんとかなりそう?」
 ことさら、軽い口調を作る遥に、電話の向こうの男は諦めたように嘆息した。
『知るか。とりあえず、道具は持ってきた。おまえ、今、窓を開けているのか』
「うん。何、近くにいるの?」
『ああ。たぶん、俺が見ている部屋で間違いないだろう。ああ、待てよ、窓のほうには来なくていい。部屋の入り口はひとつか?』
「たぶん」
『じゃあ、ドアの前に、重いものでも移動させておけ』
「了解。でもさ、下から出てこられたら意味なくない?」
『逃げ出す前に捕まるよりはましだろ。文句言うな、馬鹿』
「ちぇ、ひとを馬鹿馬鹿って……」
『本当のことだから言ってるんだ! まったく……。今から準備するからな。しばらく待ってろ』
 本気で脱出させる気なんだ、どうするんだろ、とか無責任に思いながら、遥はうきうきと座っていたソファを引きずっていって、ドアの前に据えた。このドアの開く向きは内側だから、多少の障害にはなるだろう。
 結構ソファが重かったので、時間がかかったのかもしれない。宇山からの次の電話は、遥が汗をぬぐいつつ、宇山何してるのかなと考えかけたときにかかってきた。
『外、見てみろ』
「へ?」
 言われて、窓の外を覗き込む。
『下、下。左だ』
「ん……うわっ。何事?」
 このビルの出入口から男たちが何人も飛び出してきて、地下の駐車場から走り出た車と、待ち受けていた車に分乗して走り去っていった。明らかに慌てた様子は、何か事件があったのだと思わせる。
『さて、はじめるぞ。窓から離れろ』
 ビルの前の騒がしさが一段落すると、宇山は軽い調子で言った。
「え……もしかして、なんか仕組んだのか」
『さあな。ほら。窓から離れて、部屋の奥に入ってろ。ボウガンでロープ打ち込むからな』
 それから、宇山の指示に従って慣れない縄仕事に腐心すること十数分。
『よし、できたな。そのまま降りて来い』
「軽く言うよなあ。うわ、高っ」
 下を覗いて、遥は眉をひそめた。別に高所恐怖症ではないが、だからといって。
『お前が言ったんだろうが。レスキュー隊みたいにするする降りればいいって』
「そりゃ言ったけどさあ……俺はレスキュー隊じゃないわけで……。じゃ、行くから切るよ」
『ああ。下は大丈夫そうだ。気をつけろよ。慌てなくていい』
「オッケー。じゃーね」
 本当に消防士が身に付けて壁を降りていそうなハーネスだとか、室内でどうにか固定して、ロープを通しておいた器具だとか、どこから出てきたのか大いに謎だったし、使用方法が正しいかどうか不安が残るのだけれど――まあ、仕方がない。
「さっさと降りよう」
 ここまで来て、なかったことになどできないし、する気もない遥は、窓枠を乗り越え、慎重に身体を外へ出した。
 そしてロープを手に、ゆっくりと、けれど着実に、壁を降りはじめる。
 怖いより何より、力入れるとあそこが痛てえよ。と思ったのは、とりあえず秘密だ。



 およそ1時間後。  遥は、宇山に連れられるまま、宇山のねぐらへやってきていた。
 そこは、おんぼろといって間違いない2階建てのアパートで、2階の端の部屋に案内された遥は、興味津々に中をのぞいた。
「さっさと入れ、馬鹿」
 頭をはたかれて、
「おじゃましまーす」
 と中に入る。
 ビルの上から降りてきた遥をせかして、離れた場所に置いてあった車に押し込んでから、宇山はずっと不機嫌そうに顔をしかめていた。遥は無論、その原因が自分にあることくらい百も承知しているが、ことさら明るく振舞って、テンションの低い宇山を無視している。
「へぇ。こんなとこにこんなアパートあるんだなー」
「どこにだってあるだろう。ほれ、ぼーっとしてないで、奥行って適当に座れ」
「はいよ」
 間取りは1K。いかにも昭和の香りのするキッチンも、ばかでかいベッドが置かれた八畳間も、雑然とはしていたが、男の一人暮らしにしてはまあ綺麗なほうだろう。
 宇山は基本的に、几帳面なのだ。顔に似合わず。
 遥は、ちゃぶ台みたいな小さなテーブルの前に腰を下ろした。
「ほれ」
 缶ビールを、無造作に差し出されて、黙って受け取る。
 宇山は床に座って、ベッドにもたれかかった。ぷすっ、と音を立ててプルタブをあけて、ちらりと遥を見る。
「で、どうするつもりなんだ」
 言っておいて、まるで興味がないと言わんばかりにビールをあおる姿を、遥はなんとなく見ていた。結構怒っているくせにと思うと、それはそれで面白い。我ながら、性格が悪いと思った。
「どうするって……まあ、好きなようにするよ」
「あぁ?」
「だからさ、好きにする」
 もしかしたら、宇山は別れる別れないの話をしたいのかもしれないけれど、遥はあえて考えないようにした。
 確かに、遥が今おかれている状況の原因を作ったのは高岡に違いないけれど、その高岡に対して不満はいくらでもあるけれど、決して高岡から距離をおきたいわけではないのだ。
 ただ、単純に……
「なんてゆうかさ、思い知らせてやろうと思って」
 自分の存在価値と言おうか、遥の存在そのものを、堀田真澄からも、そして元を返せば高岡からも軽く扱われてしまったことが、言葉に表しようもないほど悔しかっただけで。
 だから、遥はそんなふうにつぶやいて、自分の手の中のビール缶をじっと見ていた。

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