give me...


18

「なーなー、金貸して」
 夜が明けて、起きたのは9時過ぎだったが、目覚めて最初にしたことは、台所でコーヒーを飲んでいる男に金をせびることだった。
 財布を買い物袋に放り込んでいたおかげで、遥の手元には、携帯と定期入れしかなかった。
 定期入れに家のカードキーを入れていたから、家に帰ろうと思えば帰れるのだが、さすがに今すぐ帰るのはヤバすぎる。
 そして当然、遥の頭の中に高岡に連絡をとるという選択肢はなかった。
「いいけどな……」
 なぜか嘆息交じりに宇山は応じ、それから立ち上がって吊ってある服のポケットをあさった結果、
「今、金ないな。出かけるついでに下ろすから、ついてこいよ」
 と言われた。
「けーっ、使えねえの」
 そう言ってやると、頭のてっぺんを拳骨で殴られた。しかし、宇山と銀行というのがそもそも似合っていない。 宵越しの金は持たねえとか言われたほうが、よほど納得できるキャラだ。
 遥はハーフパンツのウエストを引っ張りながら立ち上がった。寝る前にシャワーを浴びて、ついでに宇山のTシャツとハーフパンツを借りて寝たのだが、Tシャツが大きすぎるのはともかく、ハーフパンツは立ち上がっただけでずり落ちていこうとする。 仕方がないので、昨夜脱いだのを着なおして、「暑い」と愚痴りながら顔を洗いに行った。
「で、どうするか決めたのか」
 昨夜と似たようなことを、宇山が問う。
「ああ、まあ、だいたいの方針は」
 遥は答えて、冷蔵庫の中を勝手に覗いてミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
 使われていなさそうなコップを探して、適当にすすいでから水を注ぐ。
「宇山、もう出かけるとこ?」
「ああ、まだ10分くらいなら余裕はあるけどな。何か食ってくか?」
 宇山はすでに朝食を済ませたらしく、何を食べたのかはよくわからないが、流しに皿が洗わないまま放置されていた。
「いーよ。食欲ねえし」
 昨日の昼から口にした食べ物といえば、昨夜ビールのつまみにしたチーズひときれだけだ。 それでも空腹を感じていないのはさすがにやばいと自分で思ったが、無理やり喉に押し込むことになるなら、できれば宇山の目のないところでしたかった。
「おまえ、ちゃんとメシは食えよ」
 宇山が、最初から怖い顔をさらにしかめて言う。遥はなんだかおかしくなって、少しだけ笑った。
「宇山って、お母さんみたいだよな」
「はあ?」
「なんか、気の遣い方が」
 実家の継母も、遥が家に寄り付かなくなってから、たまに遥と顔を合わすたび、そういったことを口にしたものだ。なんのことはない、遥が華奢すぎるせいなのだが。
 宇山がなんとなく急いでいるようにも見えたので、遥は宇山を促して、そのまま外へ出た。
 宇山はどうやら人に会いに行くらしいが、普段どおり、特に改まった様子はない。カーキ色のシャツに黒いカーゴパンツという格好がアーミールックに見えるのは、たぶん中身のせいだろう。 この大男が、どこかで傭兵だか外人部隊だか、とにかく剣呑な仕事をしていたのは間違いなさそうだが、少なくとも今日はまともな服装をしているはずだ。
 近所の銀行のATMで、宇山も銀行なんか使うのかと遥にちゃかされながら下ろした現金のうち、1万円札を3枚抜き取って、宇山はそれで遥の額をはたいた。
「とりあえず、こんだけありゃ当面の暮らしに困らんだろ」
「ああ! ありがとうございます宇山さん」
 遥が拝んでみせると、宇山は「アホか」と笑った。
「行くとこなけりゃ、いつでもうちに来い。また何かあったら、遠慮せずに言えよ」
「わかった」
「金は返せよ」
「わーってるよ。また寄るから」
「ああ。無茶するな」
 そう言って遥の頭をくしゃっと撫でると、宇山は駅のほうへ歩いていった。
「……無理」
 とりあえず手元の3万円をそのままたたんでポケットに押し込みながら、遥はつぶやいた。

 朝食はコンビニで買った携帯食で済ませ、地下鉄に乗った。
 最初、大学へ行こうと思って、乗り換えるところまで行ったのだが、よく考えたらとてもじゃないが試験を受けるようなテンションではない。 もういいよとぼやいて、やみくもに電車に乗って、次第に都心を離れていくその電車の車窓から外を眺めているうちに新宿へ行こうと思い立った。おかげで着いたのが11時すぎ。
 西口に出て、今さらながらもう少し宇山の部屋にいさせてもらえばよかった、と後悔しながら、何気なく昨夜から電源を落としてあった携帯を手に取ると、何通ものメールが入っていた。
 メール11件のうち、9件が高岡から。
 昨夜の2時すぎにはじまって、2時半、3時前、5時過ぎ、6時台に2件、7時台に2件、つい先ほど1件。
 それを確認しただけでメールの本文を読む気力がうせて、とにかく座れる店に入って作戦を練ろうと思い立った。
 本当のところ、目にもの見せてやる!という決意だけは堅くしたものの、遥はろくに何も考えていなかった。
 高岡からのメールは、決心を鈍らせると分かっていたから、一切読まないことにした。
 わざと違うフォルダを作ってそこに未読のまま放り込んで、意図的になかったことにする。
 謝罪も弁解も、叱責も警告も、帰ってきてくれという嘆願であっても、とにかく高岡から送られる何であろうと、今は受け取りたくなかった。
 冷静になってみれば、それだけ怒り狂っていたということなのだろうが、遥本人は、自分がそれなりに冷静だと思っていた。
 そして、冷静に作戦を練ろうと考えながら、まずは長居のできそうなカフェに足を踏み入れたのだった。


 二、三度場所を変えながら数時間。
 新宿の街が夜の顔を見せはじめた頃、遥はようやく動き出した。
 すでに方針は決まっていた。

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