give me...


19

 まだ空は完全に暗くなってはいない。
 夕暮れ時の薄暗さと、街を照らし出すさまざまな色の光がまじる頃合に、遥はひどく真面目くさった表情で繁華街の中を歩いていた。
 あまり足を踏み入れたことのない界隈だったが、遥の足取りに乱れはない。計画を立ててから、書店で目的地近辺の地図をしっかり頭に叩き入れてある。歩いている最中に一度だけ知らない男から声をかけられたが、スカウトなのか客引きなのかセールスなのか、とにかくろくな用事ではないだろうと、視線をやることすらなく完璧に無視して立ち去った。
 エアリアル……高校時代の腐れ縁である椎名の店が、目的地だった。気まぐれな散歩の途中に椎名に出くわしたとき、「スカウト」と称して名刺を押しつけられたのを、なんとなく定期入れに突っ込んでいたのが役に立った。
「なんでも大事にとっておくに限るな」
 そのときはただ、椎名に連絡を取る手段があれば何かの時に役に立つかも、と思っただけだったが、こんなに早く役立つとは思わなかった。
「ていうか、定期入れにクレジットカードとか入れとけばよかったんじゃあ……」
 そうすれば、宇山から金をせしめなくても、当面優雅な生活ができたのに。たまたまジーンズのポケットに収まったままだった定期入れには、定期のほかにどこかの店の会員カードとか、レシートとか、そんな役にも立たないものばかりしか入っていなかったのだ。
 ふと気づいた事実に、遥は軽く落ち込んだ。もう少し先立つものがあれば、そう先を急ぐ気にもならなかったかもしれない。
「ま、気にしても今さらだな」
 遥はひとつ首を振って、気持ちを改めた。
 やると決めたからには、くよくよせずにとことんまでやってやろうと、そう自分に言い聞かせて。


 ひょっとしたら近辺を何往復もする羽目になるんじゃないかと思っていたのだが、案外あっさりと「エアリアル」は見つかった。目星をつけていた区画に、ビルが3棟しかなく、地下のテナントがあるのがそのうち1つだけだったからだ。派手な看板はなかったが、よく見れば道路から直接地下へ降りる階段の上に、黒字に金色の文字が躍っていた。
 遥はためらいなく、その階段を駆け下りた。
 薄暗い階段の下に、黒く重々しい扉があった。それをひらくと、薄明かりのエントランス。なにやら受付で準備していたらしいTシャツを着た青年が振り返って、あからさまに顔をしかめた。早く来すぎた客には見えないだろう。
「あ」
「椎名に会いたいんだけど」
 相手が何か言おうとするのをさえぎって、遥は早口に言った。
「……店長のことですか?」
「そう、椎名透流。来てんの?」
 怪訝そうな相手に対して、遥はわざと軽く問いかけた。こんな場所で下手に出ても、良いことなど何もない。
「いいえ、まだです。どちらさまでしょうか」
「俺? 俺は椎名の昔のツレってやつ? まあ、お知り合いよ。長江って言えばわかるはずだ。俺、今のあいつの携帯の番号知らないんだよね。代わりに連絡とってくんない?」
 実は、椎名に渡された名刺には携帯の番号だってきちんと書いてあったのだが、遥はそう言ってにやにやと相手の顔をうかがってみせた。
 青年は鼻白んだ様子でひとつため息をつくと、「ちょっと待っていろ」と奥へ入っていった。
 待つこと数分。
「店長はまもなく参りますので、中でお待ちください」
 違う男が顔を出して、そう告げられた。さっきの青年と違って、「ホスト」っぽさのかけらもない大柄な男。マネージャーか何かだろうか。口調が丁寧なわりに、遥を見る目は見下したような、値踏みでもするような冷たいものだ。
「あ、そりゃどうも」
 遥はすました顔で、男の横をすり抜けて店内へ足を踏み入れた。
 ここで門前払いされるとは思っていなかった。椎名は、落ちているものなら一円玉でも拾いかねない奴だ。
「こちらへどうぞ」
 男が、身をひるがえして遥を促す。まだ明かりのついていない店内は薄暗いが、きらびやかな、ともすると悪趣味でもあるような内装がよくわかった。ゆっくりとその様子を見回し、店内の配置を確認しながらついていくと、店の奥の個室へ案内された。
「こちらでお待ちください」
 六畳ほどの広さに、テーブルとソファ。VIPルームだということは見当がついたし、調度品は高級なものなのかもしれないが、遥はカラオケボックスの狭い個室を思い出した。

 待たされる覚悟はしていたのだが、意外に椎名は早かった。単純に出勤時間だったのかもしれない。
「どうしたんだ、ついに捨てられたのかよ」
 楽しげなその第一声に、ついしかめっつらになりつつ、部屋に入ってきた椎名を見据える。
 椎名は3ボタンのシンプルな黒いスーツに、白のドレスシャツという出で立ちで、どこからどう見ても店長ではなくただのホストに見えた。
「捨てられてねえよ。こっちが捨ててやろうかとは思ってるけどな」
「へーえ。またまた。新しい男が要るなら、いくらでも斡旋してやるぜ」
「要るかっつーの」
 男だろうが女だろうが、椎名にだけは紹介されたくない。そう遥は考えたけれど、口にするのはやめておいた。口論をしに来たのではなかった。
「おまえさあ、まだ薬扱ってんの?」
 直球を投げかけると、椎名は鼻で笑った。
 高校3年のとき、遥がやくざ絡みで危険な目に遭ったのは、椎名が原因だった。ドラッグの売人をしていた椎名は、遥の名前を利用してやくざの目をくらましたのだ。
「へっ、なんだ。俺に探りを入れにきたのか?」
「探りって、何のための?」
 聞き返されて、思わず返す言葉に詰まる椎名に、遥はたたみかける。
「まー、お前がその辺から足を洗ってるとは、誰も思わないよな。そういう意味じゃなくってさー、おまえ、林なんとか言うのに世話になってんだろ? そこの絡みで薬売ってんのかってこと」
「それが何だって?」
 部外者に面と向かってドラッグを売っているのかと聞かれて、そうだと答える者もいないだろう。警戒しているのか、椎名の声が幾分硬くなる。
「いや、まーな。林なんとかだか、その上の有働とかいうのだか知らないけど、大々的に新しいのを導入中らしいじゃん? 高岡もなんかそれに関わってるっぽいし。んーで、できることなら一泡吹かせてやりたいわけよ」
「は?」
 早口にまくし立てて、相手に考える隙をやらない。それは遥の考えた些細な作戦だった。椎名のペースに乗せられて、うまく話を進める自信がなかったからだ。
 少なくとも、高校生の頃はそうだった。そのおかげで、くだらない罠にはめられたともいえる。
「そうは言っても、俺の人脈っつうと限られてるし? 使えるもんなら何でも使えっつうか、おまえ一番こういうのに引っかかってきそうだし。なあ。林程度の小物の手下で満足してるわけじゃねーだろ、椎名も。ここで一発どうよ」
「何言ってんだ?」
「だから。堀田真澄に付く気はないかってこと」
 寝返らないかと、遥はさらりと言ってやる。
「はぁぁ? おまえ、何考えてるんだ? 堀田は……」
「高岡は有働についた。だから俺は兄貴のほうにつく。ま、わかり易い話だな。安心しろ、まず間違いなく、跡目争いは息子がさらってく」
「どうして」
「なんでって、奴はもう、親父と話がついてるって言ってたぜ。有働は踊らされてんだよ」
 椎名が少し視線をずらして黙った。
 頭を働かせて、遥の言う意味を分析しようとしているようだが……
 遥はソファにもたれて大きく足を組み替えながら、ひとりほくそ笑んだ。
「それで、俺に何のメリットがあるんだ。俺は別に、好き勝手できりゃいいんだよ、そりゃあ林じゃなくたって構わねえけど、だからって堀田に付く理由なんかねえだろ」
「理由? ばっかじゃねーの」
 めいっぱい馬鹿にしたような口調で言ってやる。
「こういうのはのるかそるかなんだよ。有働が潰れるか、堀田真澄が潰れるか。そういう状況になってんだろ? このまま林なんとかに付いてたって、おまえには何の得もない。ここで一仕事すれば……どうだろうな?」
 あえて続きは言わずに、遥はポケットから携帯電話を取り出して、朝からずっと落としたままになっていた電源を入れた。

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