give me...


20

 遥は、携帯のアドレス帳を呼び出しながら、このタイミングで電話がかかったら嫌だな、とふと思った。
 今日一日、ほとんど携帯の電源を落としたままにしていたのは高岡から電話がかかるのを恐れたからなのに、彼からのメールさえ、意図的に無視しているというのに、どこかで、高岡からの連絡があることを期待している自分がいる。
 たとえ、今、椎名を目の前にしたこの状況下でも、高岡から「何か」をもらえるなら、遥は今すぐこの猿芝居もプチ家出みたいな行動もやめて彼の元へ帰るだろう。そういう弱い自分を、遥は知っている。
 ただ問題は、高岡から欲しい「何か」というのが何なのか、遥自身にもよくわからないことであり、そんな計ったようなタイミングで電話がかかるなんてことはないということだった。
「おい、何してんだ?」
「まあ、待てよ」
 椎名からの険悪な問いかけに余裕の笑みをみせておいて、一度もかけたことのない番号に発信する。むしろ、番号を聞いておいたことが奇跡的だと、遥は思った。
「もしもし〜。吉見さん?」
『は、遥君!? 今、どこに……』
 さほど待たされることはなく、電話に出た相手の、驚愕と困惑の入り混じった声に、思わず苦笑がもれる。向こうもまさか、このタイミングで遥から接触があるとは思いもよらなかっただろう。
「昨日はどうも」
 我ながらものすごい嫌味だと遥は思ったけれど、別に嫌味を言いたかったわけではない。椎名に対する、ただのアピールだ。
 遥の中に、吉見に対する怒りは最初から存在しなかった。
「いやね、昨日の話の絡みで、ちょっと紹介したい奴がいるんですよ。たぶんご存知だとは思いますけど、俺の昔のダチで、薬の売買の筋に詳しい奴でね」
 余計な言葉を挟む隙を与えず、こちらの都合でしゃべりかけると、吉見は少し考える様子で、慎重に問い返してきた。
『遥君、何を考えてるの』
「そっちのボスは、有働の握ってるルートをどうにかしたいわけでしょ。こいつが……椎名って言うんですけど、条件次第では、いろいろ流してもいいって。ま、こいつがどこまで知ってるかは知りませんけど。あ、変わりますよー」
 さらに勝手に話を進めて、遥は椎名に携帯をつきつけた。
「吉見さん。知ってるだろ。堀田真澄のとこの」
 自称事情通であるなら、堀田真澄の片腕の名を知らないはずはないだろう。
 あれで有名人なのだと言っていたのは、高岡だったか。
 椎名は、半信半疑といった様子で、携帯を受け取った。

 椎名の店を出て、10歩も行かないうちに携帯が着信を告げた。
 一瞬ぎくりとしながらも、確認すれば予想したとおり吉見からの電話で、遥は自分の情けなさに苦笑しながら電話に出た。
「はいはい」
『どういうつもりなんだ』
 相手の、強く硬い響きの声に、この人もヤクザなんだなあと感心する。言葉を荒げているわけでもなんでもないのに、その声には力があった。けれどその強さを感じる分、遥のほうも、負けないようにしなければと、よりかたくなに自分に戒める。
 少なくとも今の遥にとって、事情や内心を問い詰められることは逆効果だった。ひとりよがりだとわかっていても、突き進まなければ気がすまないところに来てしまっている。それを止められる唯一の人とも、自分から接触を避けて。
 遥は何気ないふうを装って周囲を見回し、『エアリアル』から自分をつけてきている影がないことを確認した。
「あのねえ、吉見さん。俺は飼い主に『待て』って言われたら何時間でも待ってるような躾の出来た犬じゃないの。おとなしく尻尾振って待ってると思うほうがどうかしてる。だからまあ、首輪抜けて少々走り回ってようと、文句を言われる筋合いはないと思うんだけど」
 しゃべっているうちに、何か腹が立ってきた。無論、『待て』の言いつけを出した『飼い主』のことは、吉見に何の責任もないことだ。
「ほんと、昨日のことはね、なんていうか、マジで頭にきたから。まあ、逃げ出させてもらったんで、それでチャラにしてもいいんですけどね、とりあえず、あなた方に関しては」
 吉見に対しては、特に何の感情もなかったが、堀田の態度にはそれなりにムカついた。高岡の単なる付属物という見方をされたのが気に食わなかったのもある。
 だから、まんまと逃げ出して「ざまあみろ」と思ったのは本当だ。
『彼が心配してる。連絡を取ってないの?』
 吉見の指した人物が誰かは、確認をとるまでもないことで、その話題が出たことが余計に遥を苛立たせた。
「心配してなかったら怒るよ」
 遥にとっては当然の応答だが、吉見はため息をついた。
『せめて無事の連絡くらいはしてあげなさい』
「なんで俺がわざわざ連絡しなきゃいけないの………って、吉見さんに当たっても仕方ないよな、ごめん」
 思わず恨みつらみを並べそうになって、遥はすんでのところで自制した。恋愛相談をしているのではなかった。
「とにかく、俺はおとなしくしている気はないし、そう簡単にあいつを許してやる気もないから。それで、さっきの椎名ですけど、上の細かいことは知らないと思うけど、販売ルートのほうは、かなり知ってるはずだから。気が向いたら使ってみてください」
『そう簡単に使えると思う?』
「奴は打算的なんで。逆に言えば、芯がないんですよ。メリットさえちらつかせりゃ、どっちにでも傾くと俺は踏んでますけどね。まあ、役に立つかどうか保障はしませんし、興味がないなら構いませんけど」
『構わないの?』
 遥が何らかの意図を持って、吉見に椎名を紹介したのは明らかだ。吉見が椎名を取り上げなければ、遥の計画がつぶれてしまうだろうと、吉見が問いかけると、遥は自嘲気味に笑った。
「ま、構わなくはないですけどねえ。どっちでもいいんですよ、正直なとこ。じゃあね。忙しいのに、相手してもらってすみませんでした」
 そうして、相手の反応も待たずに通話を切ると、すぐにまた携帯の電源を落としてしまう。
 椎名をそそのかすのが主目的だったから、吉見と椎名の接触さえできれば、あとはどうなろうと遥の知ったことではなかった。椎名は半信半疑の様子だったが、吉見のほうがうまく持ちかけてくれたようだし――彼なりに思うところがあったのか、単に興味を持ったのかはわからないが――電話番号の確認までしていたから、計画は半分くらい成功したと言っていい。
「あとは椎名の出方を待つだけ、か」
 待つのは苦手だと、ちょっと渋い顔になりながら、遥は夜の街の中へ消えていった。


 椎名から連絡があったのは二日後だった。
 愛想をつかせたのか単に忙しくなったのか、高岡からの着信は前日からまったくなく、おかげで携帯の電源を入れたままでも遥は安心していられた。代わりに、『試験休んでんじゃん、どうしたの?』といった感じの友人からのメールが何件もあって、さすがにどれかに返信しないと死んでることにされるかなあ、などと悩まされつつ、結局誰にも返事を書いていないし、着信にも応答していない。面倒くさいというよりも、友達と話すテンションではなかったからだ。
『よーぅ』
 間延びした、どこか複雑そうな椎名の声は、おそらくまだ迷いを抱えているせいだろう。
「なんか用かよ」
 遥は、冷たく答えてやった。椎名から連絡がなければ困るところだったけれど、椎名と話しても楽しくないのは事実だ。
『おまえ、林に会いたいって言ってたな』
「あー、言ったけど。なに、紹介してくれんの? それは俺の提案に乗るってこと? それとも、単に林が気に入りそうだから?」
『どうでもいいだろ、そんなこと』
「よくねーよ。俺は林を手玉に取りたいんであって、林にごろにゃんしたいわけじゃねーの」
『……』
「あ、引いたな」
 どちらかといえば椎名がまくしたてて遥が「ついていけない」とひく、というのがこれまでの二人の会話だったのだが、今は完全に逆転していた。
 この二日間で、椎名が何を思っていたかなどわからない。訊いてみたところで、椎名は絶対遥には手の内を明かそうとしないだろう。ただ、遥に連絡を取ってきたということは、遥に何らかの利用価値があると認めたということだ。
 それが林の罠だったとしたら最悪だが、椎名本人の思惑だけならば、林に近づいて上手く事を運べるかもしれない。
 遥は、椎名が以前、『林がお前に会いたがっている』と言っていたのを覚えていた。だから、罠の可能性も捨てきれないが、うまく思う方向へ操縦できる可能性もあると思っていた。
「で、どうなのよ」
『……俺はおまえは信用しない』
「そりゃどうも。俺だって椎名だけは信用したくないね」
 本心から返しながらも、椎名の口調に彼の真意を見出そうと頭を働かせる。
『ただまあ、マジで紹介されちまったし、どうやら本物の吉見氏らしいしな……』
 なにやら煮え切らない口調なのは、紹介したのが遥だというのが引っかかるからだろう。まさかあんなシチュエーションで紹介されたのが、本物の「堀田真澄の右腕」とは信じがたかったのだろうが、そこは吉見のことだ。うまく椎名をたぶらかしたらしい。
『おまえが何考えてんのか知らないけど、ま、林に紹介する程度はしてやってもいいと思ったからな』
「ふーん、なんか、いい餌ちらつかされた?」
『あのな、おまえが吉見に話振ったんだろうが』
「そりゃそうだけども。条件まで言えるわけねえじゃん。あっちにとっておまえが役に立つだろうと思ったから、使わせてもらっただけだし? で、どうなのよ」
『ああ。俺の店にもう一度来いよ。明日、見回りに来るはずだからな。そのときに会わせてやる。ただし、食われても知らねえぞ』
「あー、おっさんに食われんのはやだなあ。で、何時に行けばいい」
 椎名に確認を取りながら、これでようやく一歩だと、遥は思った。
 正直なところ、『彼氏の兄』とのレイプまがいのセックスでさえ、後でけっこう凹んだのに、見知らぬ男とそういう関係になるというのは想像したくない。
 だが遥の中には、椎名の店で椎名から紹介されるからには、一度は寝ないといけなくなるだろうかと、他人事のように冷静に考えている部分もあった。

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