give me...


7

 いつまでもウジウジ悩んでいるのは、性に合わない。
 まる一週間考えて、遥が出した結論はそれだった。


 出張から帰った高岡は、本気で最低限必要な荷物を移動して、どこかへ引っ越していった。ホテル住まいをする、と本人は言っていたが、遥は特にその言葉を信用しなかったし、興味もあまり持たなかった。
 訊ねて行くことがないのなら、相手がどこにいようと同じだ。
 来るなと言われたわけではなかったが、来てほしいのなら具体的な場所を教えるものだろう。むしろこの部屋にずっとこもっていろと、高岡の希望はそこに終始しているように、遥には思えた。
 彼が慌しく帰ってきて、慌しく出て行ったその日、たまたま土曜日で遥はずっと家にいたけれど、遥にはそれが良かったのか悪かったのかもわからなかった。
 彼から告げられた言葉は、どれもあまり耳に心地よいものではなかったからだ。

「ひとりになって、じっくり考えたいことがあるんだよ」
「おまえのことにまで気を回している余裕がないから」
「ここも騒がしくなるようなら、友達の家にでも押しかけろよ」
「俺に急用があるときは、納谷に連絡しろよ、一番確実だ」

 突っ込みどころが豊富すぎて頭を抱えたくなるような、こんな台詞ばかり聞かされて、機嫌よく見送れる恋人がいるだろうか。
 仮に一歩譲って、遥がただ囲われている愛人に過ぎないとしても……これだけ言われればぶち切れる権利もあると思う。
 高岡からは、じゃあ行って来るからと、まるで半日後には帰宅するかのような挨拶。
 遥はそれに、ん、と短く答えただけで、さっさと自室にこもって。
 広いマンションは、遥だけの住処となった。


『俺のものになれよ』
 そう言われてこの部屋に招き入れられたのは、真夏の蒸し暑い日のことだった。
 使われていなかった部屋に、遥のための机が運び込まれ、『一応な』という断り付きでシングルベッドも用意された。当面身の回りに必要なものを買うために、二人で買い物に出かけた日のことも、つい先日のことのように思い出せる。
 不安など、何一つなかった。
 未来を信じていたとか、すべてに満足していたというわけではない。ただ、とても幸せで、それだけで心が手一杯だったから、あまり深く悩むこともなかった。
 いつから、猜疑心や、くだらない不満を抱くようになったのだろう。
 不機嫌な恋人が、険しい顔をしてよそを向いているとき、遥はよく、心の狭い自分を嫌悪した。
 同棲生活は、遥の思考回路も生活パターンも、高岡中心のものに塗りつぶした。もともと、サークル活動に順応するような性質ではないし、仲間と馴れ合うのも、高校時代で飽きてしまった。恋人の帰りを待つ生活は、決して苦痛ではなかったのだ。
 少なくとも、遥は平気なつもりだった。
 けれど、いつの間にか、どこかのバランスが崩れていて。


 高岡が出て行って一週間後の土曜日。
 ついに一週間、連絡のひとつもなかったことにため息をつきながら、遥は携帯をいじっていた。
 最近……ほんの二ヶ月ほど前に手に入れた携帯の番号。液晶画面に浮かぶそれをしばらく眺めてから、ひとつボタンを押して、電話をかける。
 メールでつかまる相手でないことは、学習済みだった。
 十秒以上待って、ようやくつながる。
「あー、宇山? オレ」
「どこの俺様だ、おまえは。どうした?」
「今、暇? 暇だよな、あんた。今から行くから」
「あぁ? いいけど、どこに来る気だ?」
「どうせ六本木だろ? ほら、いつものあの辺の、なんだっけ……あの地味な喫茶店。あそこに四時な」
 相手に否と言う暇を与えずに、遥はさっさと通話を切った。約束は、取り付けた者勝ちなのだ。鼻歌交じりに着替えて外出するまでの間、相手からは抗議の電話もなかった。

「久しぶり〜♪」
 喫茶店の入り口で手を振ったら、地味な店内に似合わない男が、鬼瓦のような顔全体を使ってしかめっ面をした。
「なに、不満? デートの予定もない寂しい宇山さんのために、デート気分だけでも味わわせてあげようかと思って来たのに」
「嫌がらせだろう」
「まぁ、そうとも言うけど」
 膝下まであるクリーム色のフレアスカートに、淡いピンク色のカットソーで、これでもかというフェミニンなスタイルの遥は、大学では拝めない。恥と言うものは捨てる以前に持っていなさそうな彼だが、自分の中でのボーダーラインはあるらしい。大学には絶対着て行けない!と思うような服をなぜ持っているのかは、また別問題だ。
 声と服装の違和感にちょっと引き気味のバイトにコーヒーを頼むと、遥はすとんと宇山の正面に腰掛けた。
「なんでメシ食ってんの?」
「食いそびれたんだよ。ったく、食ってなきゃ今すぐおまえを放り出して帰るとこだぞ」
「いいじゃん、ちょっとくらい女装してたって。ゲイバーとかオカマバーとか詳しいくせに」
「おまえがするから気味悪いんだろうが」
「え〜、なんで」
 ピラフとチキンカツ定食を並べて食べている男は、女装の遥以上に人目を引く人間だった。
 人の女装をとがめている場合じゃないと、少なくとも遥は思う。存在自体が反則っぽい。
 身長はほぼ2メートルで。どこの格闘家かという体格で。
 髪が蒼く染めてある。
 とてもじゃないが、カタギの人間には見えない。こんなサラリーマン、いるわけないのだから。
「それで、何の用だ?」
「なんか、言い方冷たい」
「おまえが、恥さらしな格好してるからだろ」
「人のこと言えるような頭じゃないだろー、宇山だって。格ゲーのキャラじゃないんだからさ」
 何を思ってその色なのか今ひとつわからないのだが、二ヶ月前に再会したとき、すでに宇山の頭はこうなっていた。『青鬼』という呼称まで定着しているようだから、トレードマークのつもりなのかもしれない。
 暗いところだと、黒髪のようにも見えるが……やはり変だ。
「宇山、椎名のこと知ってたよな?」
「椎名……透流?」
「そお、アホのトオルくん」
「何なんだ、その呼び方は」
「知らない? 結構、言ってる奴いたけど。なんつーか、自分はカリスマな気分なんだろうけど、基本的に勘違い野郎だからさ」
 遥の馬鹿にしきった言い方に、宇山がニカッと笑った。
「そういえば、おまえとの仲、最悪だったって聞いたな。会ってるのか?」
「誰が好き好んで会うかよ。こないだ渋谷で出くわしたの。喧嘩売られた」
「へーぇ。それで?」
「椎名の店は知ってるよな、新宿のどっかで、『え』なんとかっていうとこ」
「エアリアル? あれ、二丁目じゃないのか」
「違ったと思うけど……。あそこ、林なんとかの店だろ」
「高宏な。ああ、なるほど、ダーリン絡みの話か。そりゃ気になるだろうな」
「ダーリンって言うなっ」
 遥は半分諦めまじりに、抗議の声をあげた。「旦那」は結構言われるし、あまり気にならないのだが。ダーリンって。
 宇山は、遥が中学生だった頃、夜の街で世話になった人物だ。当時の彼は、今、遥が通っている立南大の大学生だったのだが、同時に、眠らない街を闊歩する少年たちのカリスマでもあった。 前から随分変な男だったから、慕う者と、とことんまで馬鹿にする者とがいたが、遥は当然前者で、本当にやるせない思いをしていた時期、ずいぶんと話を聞いてもらったり、励ましてもらったりしたものだ。
 大学卒業後、「武者修行」と称してアメリカへ渡ってしまってから、丸五年間音信不通だったのだが、この男はまるで変わっていなかった。
 再会して、唯一何がショックだったといって、すでに遥の高岡との関係がバレていて、何かあるごとにニヤニヤと指摘されることだ。わりと祝福されてはいるようだけれど……何にせよ、そういうときの宇山が執拗なのは良く知っている。
「ダーリンとはうまくいってないのか? 欲求不満が顔相に現れてるぞ」
「いつから占い師になったんだよ、あんたは」
 別に占い師でなくとも、見る者が見ればわかることなのだろう。痛いところを指摘されて、遥はしかめっ面をしてみせた。

back top next
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送