give me...


8

「何が知りたいのか、正直に言ってくれないとわからないからな」
 場所を変えるか……と言って連れてこられたのは開店前のバーだった。奥で帳簿を見ていたマスターにひとことで了承を取り付けた宇山は、カウンターの中に入って、適当にカクテルを作っている。
 よどみのない動きは、バーテンダーの仕事の経験を物語ると同時に、このカウンターに立つのも初めてではないことを示していた。
「何が知りたいってさ。そんなシンプルに『何』って言えたら苦労しないって」
「言っとくが、ダーリンのことはダーリンに聞いたほうが早いぞ」
「だからダーリンって言うなって言ってるだろ」
「ダーリンが自分で始末をつけるつもりでいるなら、おまえが首を突っ込まないほうが得策だと思うけどな」
 遥の抗議を無視して、宇山は唐突な言葉を突きつけた。
 それを聞いて、遥が拗ねたように唇をとがらせる。ろくに状況説明をしたわけでもないのに、どうしてそんな「模範解答」的な答えを聞かされなければいけないのか……。
 まったく、それだから嫌なのだ。高岡にせよ、宇山にせよ、頼りがいのある頭の回転の速い男を遥は尊敬しているが、人の考えていることを先回りして言わないで欲しい。

 高岡が、今どういう状況にいるのか。そして、なぜ家にいてくれないのか。あるいは、実は自分を捨てようとしているのか。わきあがる疑問と疑念を放置したまま、いつ戻るか知れない男を待つことなど、到底耐えられなかった。
 だから、宇山に会いに来たのだ。彼が、六本木を主な縄張りとする、『情報屋』だから。
 高岡の胸のうちなど、誰にもわからないかもしれないが、ヤクザの内情に詳しい者ならごまんといると、遥は知っている。宇山自身が詳しいのはもちろん、彼の人脈を使えば、遥ひとりでは到底知りえない情報も手に入るはずだった。
 結婚だ愛人だの話を聞かされて、泣き寝入りなどしたくなかった。高岡が、もし裏社会に本格的に取り込まれようとしているのならば、せめてその隣に常にいられる存在になりたい。
 別居でさえ、本当は耐え切れないほど嫌なのに、毎夜、彼の存在がないことに胸を痛めているというのに……高岡の隣に違う相手が、女が眠るさまなど、想像したくもなかった。
 自分の手で、高岡を取り戻したい。
 遥の希望を一言で言うなら、そういうことで。
 宇山にはどうやら、まともな説明もしないうちから、わかってしまったらしい。

 宇山は、高岡伊織という人物について、それはよく知っていた。むしろ、遥より詳しいくらいに。
 それが口惜しいのだとは、口が裂けても言えないが……たぶんそれも、宇山ならわかっているのだろう。見た目の豪快さばかり目につく男だが、実際には中身の細かさで売っているのだから。
 宇山は、不満げな遥の視線に、肩をすくめてみせた。
「おまえが喜ぶように言ってやっても仕方ないだろう。やくざの仕事はやくざの仕事だ。素人が首を突っ込むことじゃない」
「高岡がやくざだって?」
「本人は思ってなくても、周囲は思っているんだから、同じだろう。あの男が警察にもマークされてるのはわかってるんだろう?」
 そして、なにやら怪しげなピンク色の飲み物を完成させ、体格に似合わないしなやかな動作でカクテルグラスを遥の目の前に置いた。
 遥はそっとグラスを取り上げて、舌の先で味を確かめてみてから――中学生のとき、とんでもない味のものを飲まされたことがあるのだ――普通に一口飲んだ。
「信用ないな」
「ないって。とりあえずさ、宇山が知ってる限りでいいから、英燐会の内部事情みたいなのを知りたいんだよ。どうにも納得がいかないから」
「そんなに詳しくないぞ」
「よく言うよ。本間の娘と高岡が見合いしたの、知ってるだろう?」
 遥が上目遣いに宇山を見上げると、男は大きな目をさらに大きくしてみせた。
「……知ってる。高岡に聞いたのか?」
「まあ、結婚を勧められてるとは、聞いたけど?」
「ん?」
「まあ見合いにでも行ったのかなーって時があったからさ。宇山、そういうくだらないこと良く知ってそうだし。こないだ聞いてみたらさ、青鬼は絶対英燐会に詳しいはずだって」
「高岡に?」
「ううん、吉見ってヤクザさん」
「おまえ、やくざと付き合いあるのかよ」
「付き合いっていうか、なあ、ちょくちょく来るんだもんよ、うちに。こないだ一人のときに会ったんで、せっかくだからお茶してみた」
「おまえ……」
 宇山が苦笑して、自分用に作った水割りに唇をつけた。
「反抗期だろ」
「何それ、どういう意味?」
「文字通りの意味だ」
 遥は怪訝そうに顔をしかめた。恋愛ごとで使う言葉じゃないし、反抗どころか、自分は高岡に対してとても従順だと思っているのだが。
 無論たまには抵抗もするけれど、今だって、高岡のあとを追いかけたり無様にすがったりしないで、おとなしく留守番しているのに。
 それを言ったら、ため息をつかれた。
「どこがおとなしく留守番してるだ。吉見って、地味な銀行員みたいな雰囲気の男か」
「ああ、そうだねぇ」
「堀田真澄の配下の?」
「うん、そうだけど。それがどうかした?」
「どうって、なあ」
 ぽりぽりと、こめかみのあたりを掻きながら苦笑する宇山を見やり、遥は渋い顔をした。どうにも、何かが納得いかないのだ。


 吉見という男について、遥が最初に認識したのは、数ヶ月前のことだ。
 思い返してみれば、その頃から高岡の挙動はおかしかった気がする。考えてみれば、当然だった。
 英燐会内部での勢力争いが高岡に飛び火したこと。それが原因で高岡が過剰に忙しく、不機嫌になったこと。高岡の周辺にいるヤクザが、遥の目にも見えるようになったこと。すべては、すんなりと一つに繋がる。
 とはいえ、吉見が、高岡の言っていた「近づけたくないヤクザ」の中に数えられていないことは、最初から明らかだった。
 吉見を紹介したのが、高岡本人だったからだ。
 確か平日の夜で、珍しく高岡が早くに帰宅した日だったと思うが、二人で夕食をとっている最中に吉見が訪ねてきたのだった。何かの書類を受け取りに来たらしく、玄関に入ってきただけで靴も脱がなかったのだが、要件を済ませたあと高岡が遥を手招きして、
「兄貴のところの奴で吉見だ。たまに俺の周りをうろついてるからな、覚えとけ」
 と告げたのだ。三十代半ばくらい、中肉中背で、普通のサラリーマンのように見える眼鏡の男は、感じの良い微笑を浮かべて遥に会釈してみせた。高岡は一言も遥について紹介しなかったが、高岡との関係はきっと知っているだろう。それでも、不躾に窺うような様子はまるでなく、感じの良い男だと思った自分の第一印象を、遥は結構信用している。
 その後、頻繁に現れるわけではないが、吉見は何度かマンションに顔を出していたし、高岡もそれを嫌厭しているようには見えなかった。だから、高岡が来てほしくないと思っているヤクザとは、少なくとも堀田真澄関係ではないのだと、遥は理解していたのだが。
 宇山の話を聞いていると、まるで高岡は堀田真澄も敬遠しているようなのだ。


「なあ、高岡って、堀田真澄と仲悪いのか」
 尋ねてみると、宇山は苦笑した。
「真偽のほどは俺も知らないが、英燐会の中の噂では、犬猿の仲だって言われてるぞ。女関係で争って絶縁状態だって話も、聞いたことがある」
「はぁ?」
「おかしいだろう?」
 にやりと笑うのは、この義兄弟がどちらも「男」に執心していることを知っているからで。
 遥は、少し眉根を寄せた。
「ていうか、まあ……。絶縁、してないと思うんだけど」
「高岡が、堀田真澄の話をしていたか?」
「うん、別に普通に。あの人が兄貴って言ったら、堀田真澄のことみたいだし」
「じゃあ、絶縁ってのはガセというか、ポーズかもな。もっともらしく流れている以上、何か裏があるんだろう」
 宇山が腕を組んで首をひねっているのを見やりながら、遥は小さくため息をついた。

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