living on the edge



21.


「遥。ただいま」
 そう声をかけてきた男は、すでにシャワーを浴びたあとらしく部屋着に着替えていた。
 俺は机に突っ伏して寝ていて、高岡がいつのまにかすぐ側に立っていたんで、その姿を確認する前に驚いて跳びはねたけどな。
「うぉ、びっくりした!」
「寝るならベッドで寝ろよ、おまえ」
 手錠の鍵をはずしつつ、高岡が呆れたように言う。
「机で居眠りすんのがいいんだろ。わかんないかね」
「わからんね。行くぞ」
 鍵がはずれると、手を引かれて、リビングのほうへ向かう。
 この二日間、未練がましく玄関のほうを見ることをやめている。最初から俺を知っていて、俺を助けるためにあそこに行ったという高岡の話を聞いて、いまここから逃げ出しても無意味だと分かったからだ。
 俺が答えを出さない限り、高岡は俺を諦めたりしないだろう。
「だいたい片はついたぞ」
 リビングでソファに座ろうとしている最中に、高岡は何気ない口調でそう言ってきた。
「かた?」
「おまえを狙ってた連中だよ。落とし前はついたっていうかな。俺は直接関わってないんでどこまで本当かはわからないが、少なくともおまえがもう一度拉致されるようなことはないはずだ。何飲むか?」
「……あんたと一緒でいいよ。それ今言うって、どういう作戦なわけ?」
 俺をソファに座らせといて、高岡はキッチンのほうに移動して酒を準備し始めた。さらりと世間話のように言ってきた男の意図が読めなくてストレートにそう問うと、高岡は振り返って、例の、あのいやぁな、まあ別に嫌ってほどじゃないけどまあなんだ、何を言い出すかもう先を読めてしまう表情を浮かべた。
「嘘をつくつもりはないからな。おまえを手に入れたいんだから、せめてそういう点は誠実であるべきだろう?」
「誠実だったら、もう出て行かせてくれてもいいはずだよな」
「その点で誠実になる予定はないな。出て行きたいか?」
 ヤクザの害が及ばないのなら、もう出て行って良いはずだった。高岡がうんとは言わないだろうと思いつつ訊ねると、逆に訊きかえされた。
「出て行きた……」
 そこまで迷いなく言いかけて、そこで高岡の目に気づいてしまった。『出て行きたいに決まってんだろ』と言う予定だった言葉を引っ込めて、俺はため息をついた。
 高岡の表情は、妙に優しかった。口先では監禁を続けるようなことを言いながら、彼は俺が望むなら扉を開けるつもりだと、そんな気がした。
「出て行きたくないわけないだろ、ばーか。あんた訳わかんねぇし、だいたい朝から晩までひとりっきりで放置されるこっちの身にもなれよな。やってられっかっての」
 言い直した言葉は、たいして変わっていなかったハズなのに、高岡の表情がふわっと嬉しそうに、次に意地悪そうに変化して、俺は墓穴を掘ったらしいことを感知した。
「そうだな、寂しそうだったから連れてきたのに、俺が寂しがらせてたんじゃ意味がないな」
「誰が寂しそうだって?」
「遥が」
 意味が分からなくて問い返そうとしていたら、グラスを差し出されて、受け取った。
「なにこれ」
「スプリッツァー。明日は早いから、アルコール控えめにしてみた」
「しゅぷ…?」
「飲んでみりゃわかるよ」
 要は白ワインをソーダで割ったものだっていうんだけど、見たことも聞いたこともなかったんで、どんな味がするのかと舐めてみた。テーブルにつまみを入れた皿を置く高岡の肩が妙にゆれていて、笑っているらしい。
「なんだよ。あんた、俺のこと馬鹿にしてるよな」
「可愛いなあと思ってるだけだよ、あいにく」
「けっ」
 馬鹿にされるのと可愛がられるの、どっちがマシなのか微妙なところだ。
 カクテルは甘くないのが気に入って、かえってごくごく飲んじゃいそうだなぁと思いつつ味わってたら、何の話をしていたのか一瞬忘れていた。
「ところで、本題なんだが」
「ん?」
「おまえね。酒に気を取られて話を忘れるなよ。おまえの話だろ」
「あんた、俺が堕ちる寸前だと思ってるだろ」
「そうだな」
「クソムカツク」
 グラスの中身をあおって空にすると、テーブルの上にどんと置いた。その程度のアルコールで酔っ払ったりしないけど、勢いづけくらいにはなった。
「あんたが分かんないんだよ」
 それが正直な気持ちだった。
 俺を閉じ込めて、口説き文句を投げかけ続ける男を、どう理解していいのか分からなかった。
 高岡の心の内を知りたいという気持ちと、そんなふうに思うこと自体に抵抗を覚える理性。それから、身体に染み付いた高岡の執着に対する恐れ。俺の中はそんなものでぐちゃぐちゃで、正直、とても怖かった。
「なんで俺なんだよ」
 高岡なら、別にこんな真似をしなくたって、いくらでも恋人を作れるだろう。どうして俺にこんな執着をするのか、不思議だった。
「寂しそうだったから、って言っただろ。おまえにまともに帰る家があるんなら、たぶん監禁まではしなかったさ」
「……そうか。俺のこと調べたって、そういうことまでってことか」
 家には帰りたくなかった。だから、もし高岡がここに俺を拘束しなければ、あんなことがあった翌日からでも俺は夜の街に出歩いていただろう。
 家に、俺の居場所なんかなかったし、欲しくもなかった。
「別に家庭事情まで調べてたわけじゃないぞ。ここにおまえを捕まえてから調べたけどな」
「調べてんじゃねえか!」
 わざわざツッコミどころを用意してくる男をついつい睨みつけると、頭を撫でられた。
「俺に、おまえの家族にならせてくれよ。おまえの居場所、帰る場所に。それでは駄目か?」
「知らねえよ、そんなの」
 嫌だと、おまえなんかいらないと言えばいいだけのことだった。高岡の思い通りになりたくないなら。でも、そうやって伸ばされた手を振り払うには、俺はもう居場所のない生活に疲れすぎていたし、高岡の手の温もりを知りすぎていた。
 それでも、素直に手を握り返すのはまだ恐ろしくて、高岡に対する疑いや抵抗感が全部無くなったわけでもなくて、中途半端に拒絶して手を振り払った俺を、高岡は優しく見つめていた。
「知らないって、おまえのことだよ、遥。考えておいてくれ。俺は明日は出張で帰りは明後日だからな。その間に」
「……出張?」
 現実逃避なんだろうけど、俺は出張のほうに食いついた。初耳だ。
「ああ」
「どこに?」
「名古屋」
「ふぅん。新幹線?」
「ああ」
「いいな」
「いい子にしてれば今度乗せてやるよ」
「俺は小学生じゃないぞ」
 新幹線に乗ったことがない、という話はしたことがあったから、「いいな」の意味は伝わったんだろう。高岡が笑ってまた頭を撫でてきたんで、その腕をつかんで突っ返した。
「いい子にしてれば」の意味は、そのときは考えなかった。
 高岡は苦笑して、話はこれで終わりとでもいうように腰に手を回して引き寄せようとする。
「やめろよ」
「何もしないから」
「何もしないならもう寝る」
 優しく腕を回されるのが嫌で抵抗したら、高岡が
「ふぅん」
 と冷めた声を出した。どうも意地悪スイッチを押したらしいと、思わず動きが止まる。
「何かするなら、一緒にいても良いと?」
「んなこと言ってねえ!」
 そのあとのことなんていつも通りすぎて以下略だ。以下略。
 ひとつだけ言えることは、高岡が出張中の2日間、俺がどうやって生き延びればいいのかについて、聞きそびれたってことだった。


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