living on the edge



4.


 俺は、救いようのない悪夢からぼんやりと目覚めた。目を開けて、見慣れない白い天井をしばらく眺めていたが、あまり現実味がわいてこない。
「どこ?」
 なんとなく口に出して言ってみると、その声は風邪でもひいたようなかすれたものだった。
 頭が痛い。ガーゼか何かの感触がする頬も、さんざん蹴られた腹も痛かった。
 そうか、やくざさんに捕まってえらいめに遭ったのだった、と痛みで思い出しながら、俺はなんとなく周囲の確認をした。八畳程度の広さの、飾りっけのない洋室。セミダブルのサイズのベッド。どうも、マンションの一室といった感じだ。
 そのまま寝ていても仕方ないので、とりあえずゆっくりと身体を起こした。骨はどこも異常ないのかもしれない。あんだけやられて肋骨が無事だったんなら結構ラッキーかも、とある意味能天気に考えていると、部屋の扉が開いて誰か入ってきた。
「ああ、起きたか」
 少し安堵したように言う男をまじまじと見てから、俺はああ、と納得してつぶやいた。あのときの。
「あんた………誰?」
 なんで俺、こんなとこにいるわけ?とか、なんであんたあんな場所に現れたわけ?とか、訊ねたいことはいくつもあったはずだけれど、どうも俺の中ではこれが最優先事項だったらしい。
 普段着らしいポロシャツとスラックスの格好でも、やはり嫌味のように見目のよろしいその男は、俺の問いにふっと笑った。
「自己紹介するのは構わないが、どういったプロフィールが聞きたいわけだ?」
 そんな皮肉っぽいことを言いながら、彼はベッドサイドの椅子に腰掛ける。低音の声は、男らしい彼の雰囲気に似合っていたが、そんなとこも俺に言わせれば嫌味の一環のようなものだ。
「どうって……とりあえず、名前と、なんであそこに現れたかってことと、ここはどこなのかってことと、真柴とはオトモダチなのかってあたりと、うーん、それから、これはナニ?」
 最後に、俺は手首に付けられているものをがしゃがしゃ言わせてみせた。そいつは、俺があそこで浦安組の奴らにつけられたものかもしれないが、片方の輪がちゃんと手首から外されているにも関わらず、いまだに左手の手首からぶらさがっていた。しかも外してあるほうの輪には鎖が通されて、ベッドヘッドに鍵を使って繋がれている。
 つまりだ。
 俺は、命の恩人かもしれないその男に、まんまと監禁された格好だった。
 これで、混乱するなと言うほうが無理だ。
 男は、俺の質問の仕方に苦笑した。
「まあ、そいつは俺の趣味だ。あまり気にするな」
「するっつーの!」
 そうは言ったものの、どうしようもない。この体調で、自分よりかなり大きい相手に打ち勝って、鎖外しやがれこら、とやれる自信はまったくなかった。
 起き上がっているのもだるくて、俺はもぞもぞと横になった。
「とりあえず、何でもいいから答えろよ」
「ああ。名前は高岡伊織。あそこへ行ったのはだな…、英燐会ってわかるか?」
「浦安組も傘下に入ってる大きな組だったっけ?」
「ああ。俺はそこの総領の妾腹の息子でね。やくざじゃあないが、まるで関わりがないってわけでもない。そこまではいいか?」
 よくわからないが、とりあえずヤクザなんだな、と俺は納得し、目で続きを促した。何がおかしいのか、俺を見下ろしてにやりと笑う。
「浦安組の奴らが、ガキ相手に騒いでいるって情報があったからな。ヤクの流通ルートの情報が、浦安組だけに流れるってのはあまりいい話じゃない……俺にとってはどうでもいいんだが。まあ、今回はヤクの出所の問題もあるし、真柴の一存でどうこうされたんじゃあ、あいつらの面子が立たねえんだろ」
「あいつらって、あんたの上の人間ってこと?」
「上っていうか、まあ、浦安組とは別の勢力ってことだ。言っとくが、俺は奴らの配下ってわけじゃないからな」
「ふーん」
「信じてないだろう」
「あんな場所であんな豪快に現れといて、こんなことしといて、信用しろってのが無理だろ」
 俺は、ことさらに手錠をじゃらじゃら言わせてみせた。
 高岡と名乗った彼は、苦笑して立ち上がり、今度はベッドの縁に座った。ふいに近づいた他人の身体と、男のなんともいえない危険な笑みに、俺は無意識に身体を固くする。
「そんな顔するなよ……食っちまいたくなるだろ」
「……は??」
 発言の意味を、俺が一生懸命考えようとしている間に、突然身体が覆い被さってきて、唇に唇が触れて、そして離れていった。
「はぁ???」
「わからないか?」
 えーと、これって?と本気で思考停止状態の俺を楽しげに見下ろして、高岡の顔が再び近づいてくる。
 優しく頬を撫でられて、なぜか目を閉じてしまった。そして、今度は間違いなく、キス。
 二、三度唇を重ねて、それから口腔に舌が忍び入ってきて。上あごをつつかれ、舌をからめとられると、全身が震えた。
「ん、ぁっ……はっ……」
 こいつ、キスうまい……とか考えている場合じゃないと思うんだけど、俺は抵抗もせずに熱いキスを受け入れていた。
 キスの合間、頬やうなじを撫でられるのが気持ちよくて、思わず相手の頭に手をやって。
 その頭の、髪の毛が短かったことで、ふと我に返った。
「っ、て、何するんだよ!」
 高岡の顔を両手ではさんで、ひっぺがすと、その目が笑っていた。
「で、わかったのか。長江遥君?」
「わ……」
 ええと、食っちまいたくなるだろ、とか言われて、意味わからんと首をかしげてたらキスされたわけで……と頭の中でそれだけ言葉を並べてようやく、俺は混乱した思考をまとめることができた。
「ホモ?」
「結論が微妙におかしいぞ」
 男が苦笑して、俺の顔を撫でる。キスをやめたあとも、俺と高岡の顔はかなり近くにあって、今にもキスされそうな感じで、まるで恋人同士のような密着度が俺を余計に混乱させていた。
 心臓がばくばくして、緊張しているし、めいっぱい警戒しているんだけど、蛇に睨まれた蛙よろしく身動きができない。
「あんた、俺を抱きたいんだろ」
 さっき省略された思考過――濃厚なキスをされた→俺を抱きたいのか?→ホモ?という真ん中の部分――を口にすると、高岡は俺を見つめたまま身体を起こした。
「まあ、単純に言えばそういうことだ」
「?」
「遥。おまえを、俺のモノにしたい」
 折角の衝撃発言だったんだけど、俺の思考回路はもうすでにパンク気味で、この発言に本当の意味でショックを受けたのは、あとでだいぶ冷静になってからだった。
 そのとき俺が言ったことといえば。
「…………えーと…………えーと……変態?」
「ぶっ……」
 高岡は吹き出して、しばらくウケて笑っていた。俺は、何も間違ったことは言ってないと思うんだけど。
「まあ、その辺はあとでじっくりわからせてやるよ」
 なんか恐ろしい含みを感じる口調でそう言って、高岡は立ち上がった。
「腹減ってるだろう。ちょっと待ってろ」
 そして、まるで何事もなかったかのように普通に部屋を出て行ったので、俺はそれからたっぷり数十秒は、呆然と彼の出て行ったドアを見つめていた。


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