living on the edge



5.


 冷静になると、俺はとりあえず起き上がった。
 高岡のいる間は身動きがとれなくても、今なら脱出の算段をつけられるかもしれないと思って。
「うわ、痛いなーもー」
 あんまり深刻にならないように言いながら、立ってみる。起きる動作も立つ動作も、腹に力が入って辛い。でも足のダメージはほとんどなかったから、立ち上がってしまいさえすれば、なんとかなりそうな気になった。
 そうして起き上がってみてはじめて、自分が見たことのないTシャツとハーフパンツを着ていることに気づいた。俺と高岡のサイズが合うとは思えないから、わざわざ用意したのかもしれない。そこまで考えて、思わずパンツのゴムを引っ張って、中の下着を覗いて見た。
「あがっ!」
 そのまましばし硬直して無駄な時間を過ごす。
 ボクサータイプの、特に変わったところのないそいつは、生憎俺が見たこともはいたこともないブツだ。高岡に二度までも下着をはかされたのみならず、確実に一度脱がされたらしいと悟って、普通に落ち込んだ。
「あー、今さらだよ、今さら。そうだよ、普通普通」
 何が今さらで何が普通なのかはともかくとして、そうつぶやいて自分を落ち着け、俺は部屋の中を見渡した。まずはベッドのヘッドボードと俺の左手首を繋いでいる鎖の状態を確認する。
「あー、そりゃそうだよな、そこでガチャって外れたら間抜けすぎだよな、うん。外れるわけないわな」
 そう簡単に逃げさせてはくれないだろう。仕方ないので、高岡が出て行ったのと別のほうにドアがあったから、開けてみた。
「わぉ」
 ドアが二つもあるから変だと思ったんだけど、何のことはない。そこは、洗面スペースにトイレ、シャワールームが一緒になったユニットバスの豪華版みたいな部屋だった。
「豪邸?」
 ワンルームマンションならともかく、部屋に風呂(?)がついてるなんて、あまり聞いたことがない。その驚きをひとことで表してみて、今度は窓のほうへ。レースのカーテンが引いてあったので、それをざっと開けると。
「わおぅ」
 だいぶ頭が馬鹿になってるみたいだったけど、そうとしか言いようがなかったというか。
 あまり大きくない窓からなので、インパクトは小さかったけど、見事な光景に違いなかった。
 地上何階なんだか、よくわからないけど、とにかく高い。相当高い。
 脱出不能、と頭の中で唱えて、はじめて俺は高岡の出て行ったドアに狙いを定めた。
 鎖を床に引きずりながら歩くと、ちょうどドアの前で、鎖を張らないとこれ以上進めなくなる。ぴんとまっすぐに張るまで前進したとして、あと数十センチか。
「何をしてるんだ?」
「うわっ」
 急にドアが開いたので、びっくりした。盆を持った高岡は、真ん前に立った俺を見て、嫌味な笑みを浮かべた。
「なかなか見事にセッティングしてあるだろう?」
「あんたな、これって監禁っつうんじゃねえの?」
「ま、そうとも言うな……言っておくが、おとなしくここにいたほうが身のためだぞ」
「どこがっ」
「ああ、貞操の危機だもんなあ」
 高岡は、まるで他人事のように……そりゃあまあ他人事だが……軽い口調で言いやがった。
「おまえ、自分がどうなってたか、忘れたわけじゃないだろう。あれで自分が自由の身になったと思っていないだろうな。俺はおまえを連れ出しはしたが、奴らはまだおまえを諦めたわけじゃない。今出て行ったら、確実に狙われるぞ」
「大げさなんだよ。俺は、何もしてない」
「奴らはそうは思っていなかっただろう?」
 高岡が何を考えているのか、まるでつかめなかった。だいたい、彼の言うことが真実だという保証はどこにもない。
 俺は、慎重に高岡を見据えた。じっと見つめ返されて、ため息が出る。
 立って目の前にしても、やっぱり、高岡を組み伏せて「この鎖外しやがれ、こら」をやれる自信がなかった。
 そんなことよりも、高岡の持った盆の上にある、湯気を立てた卵粥のほうが気になってしまったのが、敗因だったかもしれない。


 やはり起き上がっているのが結構辛くて、食事を済ませて消炎剤とかの薬を呑まされたあと、横になったら眠ってしまった。
 何度かぼんやり目覚めては、部屋に誰もいないのでまた目を閉じて寝るのを繰り返して、もうこれ以上寝れない!と思って起き上がったときには、部屋の中は暗くなっていた。時計がないので、何時なのかはさっぱりわからない。
「腹減った」
 寝る前に食ってから、何時間経ったんだろうと考えてたら、腹がぐーっと鳴って、俺は顔をしかめた。高岡はリンチを受けた内臓のダメージを考えてお粥なんか作ってくれたようだけど、おかげで消化が良すぎたのか、それだけ時間が経ったのか。
 立ち上がって、さっきはたどり着けなかった部屋の入り口のドアまで行って、それを開けると、もうほとんど俺を繋ぐ鎖の余裕はなくなっていた。確かに見事なセッティングかもしれない。
 外を覗くと、廊下だった。たぶん、左手が玄関のほうで、右側にリビング。その右側に見えるすりガラスのドアの向こうに、明かりがついているのが見えたから、
「あのー……高岡ぁ?」
 そう呼びかけると、すぐに人影が近づいてきて、ドアを開けて顔を出した。
「よく寝たな。腹減ったか」
「うん」
「ああ、ちょっと待ってろ」
 考えてみたら、あんまりにものどかな会話だ。緊張感のかけらもない。高岡の「よく寝たな」という、単純なそのひとことが、妙に優しい口調だったからかもしれない。
 待ってろと言われたから、というわけでもないけれど、部屋の中に戻ってぼーっとしていると、やがて高岡がやってきた。
「また粥ぅ?」
「贅沢言うな。重いもん食って吐きたくないだろ」
「あー、大丈夫だと思うけどなぁ」
「まあ、明日はもうちょっとマシなもん食わせてやるよ」
 ベッドのそばの机に盆を置くと、高岡は腕組みをしてその辺の壁にもたれて立った。
 で、俺は高岡にじっくり監視されながら食事をする。
「そういや、今って何時?」
「9時過ぎだが?」
「9時! そりゃあ目が覚めるわけだ」
 あの廃工場みたいなところでリンチに遭ったのが、昨日の夕方7時とかそれくらいだとして、丸一日寝て暮らしてたってことだ。そんなに寝不足だったかと、俺は首をひねった。
 食事が終わると、高岡が盆を持って出て行ったので、また寝るしかないかと横になったんだけど、彼はまたすぐ帰ってきた。手に、半透明のプラスチックの箱のようなのをさげて。
 その箱を机に置くと、高岡はポケットの中をさぐって何か取り出すと、俺の手首をつないでいる手錠を掴んだ。
「あ、鍵!」
「持ってないとでも思ったか。ちゃんと拾ってきたぞ」
「や、そりゃ、右手はずれてたしさ……」
 鍵をはずすと、高岡は手錠も鍵も一緒にしてポケットに押し込んだ。
「上、脱げ」
「あん? あ、そこの箱、救急箱か」
「何だと思ったんだ?」
 身体にべたべた貼られているらしい湿布を替えるんだと思いついて、俺はテーブルの上の箱を見た。確かに言われてみれば形状が救急箱だ。俺は素直にTシャツを脱いだ。
 このときはじめて自分の腹を確認したんだけど、大きな湿布を何枚も貼られていて、何か間抜けな状態だった。
 湿布を替えるのなら、と思って自分でびりびりはがしていると、高岡は俺の頬に貼られたヤツを丁寧にはがした。
「うわぁ、すげぇ色」
「まあ、あんな所へ連れ込まれて、これだけで済んだんだから幸運なほうだな」
「今はあんまり幸運じゃねーけどな」
「ふっ。そうか?」
 高岡は鼻で笑って、
「風呂、入って来い」
 このまま目の前の男をつきとばして逃げるべきだろうかと考えていると、高岡が顎でシャワールームのほうをさした。風呂というか、シャワー浴びて身体を洗って来いということらしい。部屋は空調が効いて居心地いいんだけど、それ以前に汗をかいていたから、風呂に入れること自体はありがたいんだけど。
「……それって、それって……?」
 昼間の発言からすると、この男は俺と寝る予定のはずなんだが。となると、シャワー浴びてこいってのも、なんかちょっと。ストレートに受け取ってよいものか。
 悩んだのはほんの1秒ほどだと思う。
 俺は、がっとベッドの上から部屋の入り口のほうへ飛び降りて、3歩くらいでドアをクリアし、廊下に出た。
 無言のまま高岡が動いたのはわかったから、追って来るその手をよけるように身をひねって、さらに2歩くらい。
「ぐはっ」
 背後からタックルを受けて、こけた。
「何しやがっ、はっなせっ」
 でかい身体に後ろから押しつぶされて、暴れると容赦なく腕をひねられた。
 床に打ち付けた膝、元から打撲だらけの腹、ひねられた腕。どれもこれも半端じゃなく痛みが走った。
「いたっっ」
「動くな」
 冷たく言い放った高岡が、俺の両手を前にして手際よく手錠をかける。元の木阿弥だ。や、それ以下?
「どうやら、自分の立場がわかってないらしいなあ。ええ?」
「なんだよ! てめぇ、ふざけんな、俺は帰る!」
「駄目だ」
「何が駄目なんだよ!」
 あと何歩かいけば、玄関なのに。それは遠かった。
 背中から両腕をまわして抱き起こされて、強い力で回れ右させられ、半分引きずられるようにして戻った。ただし、もとの部屋を通り過ぎ、リビングのほうへ。
「聞き分けのないガキには躾が必要だよなあ」
 耳元でささやかれた言葉の意味は、すぐに思い知らされた。


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