living on the edge



8.


 目を覚ますと、室内はすっかり明るくなっていた。いつのまに寝たんだろうと目をこすりながら、俺が真っ先に感じたのは空腹感だった。こんな状況に陥っておいて、どうせならしおらしく食欲をなくすくらいであってほしかったけれど、中身よりよほど健全な俺の身体は正直に回復のためのエネルギーを欲していたらしい。
「くそ、ご丁寧に……」
 のそのそと身体を起こすと、昨日と同じ部屋に、昨日と同じように寝ていた自分を確認して、俺は小さく悪態をついた。
 片腕につけられた手錠。ティーシャツにハーフパンツという格好。ほどよく空調の効いた、閉ざされた部屋。
「あ゛〜〜」
 しばらくぼんやり座っているうちに、昨夜の情景がありありと浮かんできて、俺は頭を抱えた。
「くそ、あの腐れ変態ホモ!!」
 最悪なのは、無抵抗だった自分かもしれない。
 実際、その日は最後までやらなかった。
 風呂で指突っ込んでさんざん俺をいたぶったあと、高岡はへろへろになった俺を風呂から連れ出して、甲斐甲斐しく世話してくれただけだった。
 詳しく言えば、バスローブで包まれ、元の部屋へ抱えて移送され、最初の目的だったハズの打撲の手当てを受け、服を着せられ、ベッドに寝かされたわけだ。
 あのときイッたあと、少し意識を飛ばしたらしくて、風呂を出たあたりまで頭がぼんやりしていたけど、覚えていないわけじゃない。全部、鮮明に覚えている。
「うわーー、うーわーーーー、うわあああああ」
 ぶつくさつぶやきながら、俺はどうにかならないものかと生活感のない室内を見回したけれど、そんなところに役に立つ情報のひとつでも落ちているはずもない。ぐうっと催促する腹の音に負けて、俺はベッドから立ち上がると、鎖をじゃらじゃら言わせながら部屋の入り口のほうへ向かった。
 ドアをあけて、右を見る。
「なーっ、いるのかー!?」
 声が聞こえたのか、誰かがこちらに来る足音がして、俺は思わず踵を返して逃げ出したくなった。そうしなかったのは、ただ単に高岡の姿がすぐに見え、逃げる時機を逸してしまったからだ。
 高岡は俺の顔を見ると、その男前な顔に笑みを浮かべ、こちらへ寄ってきた。
「おはよう。その分だと、元気そうだな」
「……ええ、ええ、おかげさまでぐっすり眠らせていただきましたよ」
 俺はドアのところに突っ立ったままそう答えた。
「何か食うか?」
「腹減った」
「ああ、だろうな。ちょっと待っていろ、用意してくる」
 前日と同じパターンで、高岡はリビングのほうへ戻っていった。俺はなんとなくその後姿を見送ると、これまた危機感のかけらもないことに、「顔でも洗おう」とどうでもいいことをつぶやいて、部屋のバスルームへと向かった。
 バスルームの鏡を覗いて見た顔は、なんともいえない、頼りなげな表情をしていた。


 監禁部屋――と当時俺は呼んでいた――に、食事を持ってきてくれるのだとばかり思っていたのだが、再び現れた高岡は手にしていたのは手錠の鍵だった。
「おとなしくしていろよ」
 そうは言いながらも、警戒している様子などどこにも見せず、彼は俺の左手につけた手錠をはずして、そのままその手をとった。
「おいで」
 抵抗する気があるなら、いくらでもできた。
 特に、部屋を出て右手のリビング方向へ曲がるとき。俺は未練がましく左手にある玄関を見やったけれど、ぎゅっと握り締められた高岡の手に引かれて、結局それを振り払う努力すらせずに高岡に従った。
 リビングに入ると、前夜、高岡の手でイカされた、あのソファが目に入る。俺はちょっと動揺して目をそらした。
 けれど、日中の光の中で見るリビングは、前夜の印象とは少し違った。食べ物やなんかのかすかな匂いとともに存在する生活感に、俺は少しだけ安心した。
 ソファの前のテーブルには、新聞が数誌広げて放り出されてあるし、飲みさしのコーヒーカップも置いてある。ただ、高岡がさっきまでそこで活動していたというだけのことなのに、俺には何かの救いに感じられた。
「こっち」
 俺が少しぼんやりしていたので、高岡は催促するように手を引いて、俺をリビングと続きのダイニングへと引っ張った。
「これ……」
「ちゃんとしたもの食わせろって言ったのはおまえだろう。好みがわからなかったから、俺の趣味で作ったのの残りだけどな」
 テーブルの上には、もう食事の用意ができていた。ちらりと目にはいった時計は9時すぎを示していて、つまりこれは朝ご飯のはずなんだけど、第一中身が朝ご飯にしか見えないラインナップなんだけど、それは俺がそれまで食べたことのあったどんな朝食より立派に見えた。
 俺は、今自分の手を握っている男が、俺を監禁してさらには強姦しようと考えている鬼畜だということをすっかり忘れて、感嘆の声を上げた。


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