レイ・セリュウムが半陰陽だということは、国民の皆が知っていることだ。半陰陽が決してめずらしくないモリアでは、男女の別を厳しく分けることもあまりない。男だろうが、女だろうが、その両方であろうが、国王になることに制限はなかった。ただ、王家に子が生まれたときには、どのような子が生まれたか発表されるし、即位のときにもその点は明らかにされた。
……レイ・セリュウム。第12代国王アラル・フェランの第2王女ルシア・フェルティナの長子にして、第13代国王フィル・ディナールの猶子。生来、月の女神に愛されし者なり。
そういう表現で、公的な触れはレイ・セリュウムが両性具有の身であることを告げていた。
本人は、普段から自分を男だと認識しているけれど、女装に抵抗がなく、今まで男性のネイゼルにしか恋心を抱いた経験がないところを見ると、やはり「どちらでもある」というのが本当のところだろう。
モリア国内では、そういった性のありかたに寛容で、彼が男と結婚したいと言ったところで非難はされないのだろうが……。
「おめでとう」
その言葉が最初にかけられるなんて、思ってもみなかったから、レイ・セリュウムはちょっと面食らったような面持ちで妹を見返した。
「なんて顔してるのよ。お兄様が喜ばないで誰が喜ぶの?」
「それはそうなんだけど……妊娠しました、で済む問題じゃないだろう」
「もう。やることだけやっといて、妙なところだけ生真面目なんだから。ああ、わかった。真面目じゃないのはネイゼルのほうなのね。お兄様って、なんか悪い人に騙されて入れあげてそうな雰囲気あるし」
どう言い返したものかと、レイ・セリュウムは嘆息した。
「リズ・アン。15で夜な夜な恋人の家に夜這いに出かけていた姫には言われたくないよ」
「私はいいのよ。お母様の子だから」
さりげなく、親不孝なことを言っておいて、リズ・アンは真剣な顔をする。
「そんなことはおいといて、お兄様、他人の言うことなんて、気にしちゃだめよ」
「気にするよ」
モリア王家の人々は、たいてい性に大らかだが、国王にはやはり立場というのがある。モリアの歴代の王には、女性も両性もいるが、未婚の母がいたとは聞いたことがない。
「ネイゼルには言ったの?」
「言ってあるわけないだろう。彼はこの一月、地方へ行ったきりだし、もしかして妊娠なんじゃないかって思い出したのは、つい最近なんだ。本当に子が出来たのかどうかも、まだわからないよ」
「大丈夫?」
囁くように訊ねられて、レイ・セリュウムは柔らかな苦笑を浮かべた。
「大丈夫じゃないから、こうやってもうすぐ臨月の可愛い妹に甘えてるんだろう?」
いつかはこういう日が来ることを期待していたけれど、心構えなんて、何も出来ていなかったから。
初めは、これがつわりなのかと冷静に考える余裕もあったのだが、つわりは段々重くなって、じきに近く仕える者たちには妊娠が知れてしまった。恋人のある「女性」が日々吐き気に苦しめられていたら、誰だってまず妊娠を疑うだろう。
妻から聞いたらしいヴァン・クレインには、とても渋い顔で言われた。
「呼び戻すべきですよ」
「おまえにまで怒られたら、どうしたらいいんだ、私は」
「だから、すぐさまネイゼルさまを呼び戻すべきだと申し上げているんです。彼はいつまで向こうにいる予定なんですか」
ネイゼルは、城主佐として大事な仕事にあたっているところだった。地方へ出向いて魔獣を払い、魔力で歪んだ大地の気を整えるのは、彼らの年中行事なのだ。
「あと3ヶ月くらいだろう。今年は日食の年で、例年とはわけが違うらしいから」
「途中で抜けて、また戻ればいいでしょう」
「それはそうだが」
妊娠したから結婚してほしいと、そう言うために呼び戻せなどと。それは少なくとも、レイ・セリュウムの美意識に反した。恋愛に夢見がちなのは、リズ・アンが言うように「乙女」だからではなくて、男だからだと思う。
ただ、そう呑気なことで悩んでいられる状況でもなかった。子供は、生まれてくるのを待ってはくれない。つわりもなかなか収まらなかった。
しかし、辛いなどと、言っていられる立場ではないのだ。国王といえば、どれほどか恵まれた至高の地位だろうと多くの人が想像するだろうが、現実はそう優雅なものでもない。
衣食住に恵まれているのは事実でも、自由はほとんどないと言っていい。同年代の貴族の青年たちが、社交の宴で華やかな夜をすごす頃にも、執務に追われていることが多かったし、晩餐会などレイ・セリュウムに言わせれば指折りの面倒な仕事だった。
――人にじろじろ見られながら、顔を取り繕って、他人の腹の内を探りつつ食べるものに味が感じられるはずがない。
つねづね、彼はそう言っているのだけれど、だからといって賓客を迎えれば歓迎の宴をもたないわけにもいかない。
その日も、レイ・セリュウムの一日の最後の仕事は、宴に出ることだった。
「ようこそ、わが国へ。今宵はささやかな宴ではあるが、くつろいで楽しまれよ」
他国の大使を迎えて、王としての役を果たすのは、国のためにも大事なこと。向こうも、豪華な食事をただ楽しむといったわけにはいかないだろうけれど、そのわりにレイ・セリュウムに向けるまなざしはとても嬉しそうだ。
美貌の王のあでやかな笑みに見惚れているのだとは、本人ばかりが気づいていないこと。このところあまり物が食べられないこともあいまって疲れ気味な彼は、率先して席につくと、目の前の料理を見やって思わず唾を飲み込んだ。
美味そうだと思ったのではない。嘔吐感だ。
まずいな、夜ならいつもつわりが楽だから、大丈夫だと思ったのに。そう思いながらも、穏やかな笑顔は崩さない。いざとなれば、失態を犯す前に退席すればいいと、開き直るほかなかった。
「お口に合いませんでしたか」
宮廷料理長に訊ねられて、レイ・セリュウムはやんわりと嘘をついた。
「いいや。お茶の時間に甘いものを食べすぎたんだろう。あまり食欲がないのだよ。客人方も、気にせずにたっぷり召し上がれ。これの料理は、本当に絶品だろう」
ほんの二、三口、料理に口をつけただけで、あとは葡萄酒の代わりに入れてもらっている薔薇水入りのお茶をすすっていた。それでも、取り繕うのが辛くなってきて、内心で深く嘆息する。
ただの疲れから来る体調不良なら、自分を叱咤して我慢するのだが。
「悪いが……先に立たせていただくよ。少し疲れたようだ。あなた方は、ぜひゆっくりしていってくれ」
立ち上がろうとして、わずかにふらつくところを、さりげなく出てきたヴァン・クレインの腕に支えられた。
「寝不足なのではありませんか。今夜はゆっくり休まれた方が」
大使たちに対する説明なのだろう。わざとらしさのまるで感じられない口調に、詐欺師めと思いつつ、レイ・セリュウムはその場を後にした。
「大丈夫だから、休ませてくれ。横になれば楽になる」
医師を呼ぼうという侍臣の申し出をやんわりと断り、レイ・セリュウムは言葉どおり自室の寝椅子に身体を横たえた。
「寝台でお休みになられたほうがよろしいのでは」
お仕着せの、青の鮮やかな衣装を着た侍女を見上げ、微笑んでみせる。そういう笑みが、側仕えの母親のような侍女たちの庇護欲を煽るものだとよく心得た上で。
「ご無理は禁物ですのよ。一番大事なときなんですからね」
「わかっている。でも、そう言われながらリズ・アンだって飛び回っていた」
「あの方は飛び回っていないと生きていけない性分なんです。ご存知でしょう」
「まったくだ」
仮にも王家の姫に向かって、ひどいことを言っているような気がしたが、まったく事実だ。兄妹に仕えて長い侍女は、よくわかっている。
「あとから薬湯をお持ちしますから、ゆっくりなさっていてくださいね」
そう告げて、側仕えの者が出て行ってしまうと、レイ・セリュウムは深くため息をついてクッションに顔を埋めた。吐き気はましになったが、身体の倦怠感はごまかしようがない。
浅い息を吐きながら目を閉じ、緩やかに訪れた眠気に身を任せようとした頃、静かに扉が開いて、誰かが入ってくるのがわかった。ふわりと漂ってくる薬湯に入れてある薬草の香りに、侍女が戻ってきたことを知るが、閉ざされたまぶたは持ち上がらない。
傍らに立った気配にふと疑問を感じ、
「だれ」
と訊ねようとするけれど、声は出なかった。
そっとかがんだその人が、レイ・セリュウムの背を撫でて、口を開く。
「心配くらい、させてください」
その、静かな低い声に、魔法のように、ぱちりと自然に目が開いた。
夢だろうかと、一瞬、目を疑う。
「ネイゼル……どうして……?」
頬を撫でる手に、ゆっくりと自分の手を重ねる。現実のぬくもりに、恋人の帰還を実感した。
「言ったでしょう、呼ばれれば、いつでも飛んでくると」
唇が震える。
「でも、おまえの負担にはなれない」
「いつもそうおっしゃいますね。私には仕事よりあなたのほうが重大事なのに」
久しぶりに見る黒髪の魔術師は、だいぶ日に焼けて精悍な印象を増していた。じきに偉大な魔術師たちと並び称されるようになるだろうと言われる彼が、氷のように冷淡で、時に吹雪のようだとまで言われているらしい彼が、優しく微笑んでそんなことを言う。
レイ・セリュウムは、いたたまれなくなって、顔をそむけた。
「よく言うよ」
「耳が赤いですよ」
ネイゼルが、レイ・セリュウムの耳たぶに軽く口づけをおとす。レイ・セリュウムは、何の意味もないことだが、慌てて耳を覆った。
「ヴァン・クレインか? おまえに知らせたのは」
「いいえ。リズ・アンさまです。今すぐ帰ってこないと、結婚を認めてやらないと脅されまして。慌てて帰ってきたのですよ」
故意にそらした話題への返答は、妹の愉快な性格を思い出させるもので、レイ・セリュウムはくすっと笑った。
「ネイゼル」
向き直って、手を伸ばし、ネイゼルの顔を両の手のひらで包むようにする。いつもさっぱりとして、生活感を感じないとまで言われている彼が、なぜか今は無精ひげをはやしていて、レイ・セリュウムは興味深くその手触りを楽しんだ。自分にはどう頑張っても生やせないものだった。
「ネイゼル」
「はい」
真剣な目をするレイ・セリュウムを、ネイゼルが穏やかに見返す。彼はもう、何を告げられるのか知っているのだ。
「私の夫になってくれるか」
「もちろん、喜んで」
口づけを思う存分交わしたあと、思い出したようにネイゼルが薬湯をすすめ、レイ・セリュウムは素直に半分冷めかけたものを口にした。
「そうだ、大事なことを忘れていた。セリュウム、何か私に言うことがあるでしょう?」
「うん?」
「まだあなたから何もお聞きしていませんよ」
すました顔で言われて、レイ・セリュウムはようやく気づいた。この、自分にはとても甘い恋人が、実はちょっと怒っているらしいことに。
もっとも、ネイゼルの不機嫌というのは、王以外の人の前では常態……これが普通という感じなのだから、さほど気にするほどのこともないのかもしれないが。
「ああ。ネイゼル、赤ちゃんができたんだ」
「はい」
「おまえと私の、赤ん坊だ」
「ええ」
「……できちゃったじゃないか、やっぱり」
「そうですねえ……」
ふっと笑って、ネイゼルはレイ・セリュウムの耳に唇を寄せた。
「おめでとう。嬉しいですよ、本当に」
「ごめんな、きっと、気苦労ばかりかける」
「あなたを手に入れた喜びに比べれば、何ほどのこともありませんよ」
ネイゼルは、平民の出だ。もともと、愛し合っているからといって、簡単に結婚できる相手ではない。けれど、王は最初からその気だったし、ネイゼルも王の隣を誰かに譲る気など毛頭なかった。
「おまえ。実は赤ちゃん、できると思ってたんだろう、本当は」
なにやら、さっきから含みのあるレイ・セリュウムの口調に、ネイゼルが笑う。
「できたらいいな、と思っていましたよ。既成事実ができれば、結婚へはいちばんの近道ですからねえ」
「ばか」
「騙されるあなたが悪い」
「騙されたんじゃないよ、流されたんだ」
「可愛い」
「ばかっ」
「私が、子供が出来たら困るとでも思いました?」
「違うよ。でも、迷惑を……」
「困った人ですね、学習能力のない」
身体にしっかりと腕を回され、抱き上げられて、レイ・セリュウムは慌ててしがみついた。
静かに移動して、優しく、丁重に寝台の上に下ろされる。
身体は、近くに、離れがたく接したまま。
そっと下腹のあたりを撫でられ、レイ・セリュウムは目を閉じる。
「たくさん子供を産むんだと、小さい頃、言ってましたよね」
「ああ、あの頃は、リズ・アンが可愛くて仕方なかったから。自分でも赤ちゃんが産めるんだって、何にも知らないのに信じてたんだ」
「私の夢は、ずっと、あなたと子沢山の家庭を作ることだったんだと言ったら、笑いますか」
「ふふっ、似合わない」
「馬鹿」
そして、恋人たちは甘い口づけをかわした。
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